この愛を欺けるの

応援スタンスや長文考察や好きなものの分析をするところ

「声を上げる」ことは「意思表示」ではない

Twitterやってると、こんな超弱小アカウントでも色々なRTが流れてきて、ちょっと検索さえかければもう強豪ツイッタラー(?)と同程度の情報を入手することができる。なんて便利なのだろう。

そこでRTされてくる情報には、現場レポやグッズの写真など事実のみを掲載したものもあるのだが、そこに呟いた人の感想が一言添えられていることが多い。その感想部分で、最近(なのか以前からなのかわからないが、)「~~と主張することが大事だと思った。」というものが多くなっている気がする。

もちろん正しく理解している人もいると思うのだが、彼女(ジャニオタなので女性と仮定する)たちの言う「主張」が、「声を上げること」「宣言すること」を指すことが多い。アンケートに答える、リクエストハガキを送る、あるいは本当にTwitterなどで「言う」だけの場合もある。

 

結論から言うと、ファン=消費者である私たちにできる「主張」は、「金を使う/使わないという選択」ただひとつだ。特に、ネットで叫ぶなんてことはまったくもって主張にはならない。

ファンはただの消費者じゃない!と仰る方もいるかもいれないが、友達でもマネージャーでも事務所の社員でもない。私たちファンは「商品を買う人」である。彼らアイドルはある意味でアイドルという商品の生産者であり、私たちは消費者だ。

消費者も十人十色。FC加入者と未加入者、お茶の間の人もいるばコンサート全ステするというツワモノもいる。当然、需要も細かく見れば全員同じではない。もっとTVで見たい人、もっとコンサートをやってほしい人、カッコいい曲が好きな人、明るくかわいい曲が好きな人。

たくさんの需要がひしめく中で、事務所やレコード会社が一体どうやって商品のスタイルを決めるのかというと、過去の売り上げ実績と、未来の売り上げ予想に他ならない。こういう商品が売れたから、次も似たものが売れるだろうとか。次は同じものでは飽きられるだろうとか、新たな客層が増えたから新しいものが良いだろう、とか。これがマーケティングだ。

もしも新たに出た商品が、今後続けてほしくない形態のものだったとしたら、一番有効な意思表示の方法は「買わない」ことだ。皆がそのように行動し、その商品が売れなかったとしたら、会社は必ずなぜ売れなかったのか、理由を分析して次の商品に生かす。むしろ、気に入らない商品なのに文句を言いながら惰性で買うことのほうが、商品を需要と合致しないものにしてしまう行動なのだ。

 

他の消費者と意思が合致しなかったら?

自分が好きでない商品なので買わなかった。しかしその商品は売れた、という場合。他の多くの消費者はその商品を好んだ。その場合、この商品のこんなところが悪い!良くない!と制作者側に伝えることは、残念ながら大変難しい。いくらTwitterやハガキやメールで言っても、結果としてその商品に需要があるのに、供給を止めることは考えにくい。

それは、不満を持っている人がいるとしても、売れる商品を売り続けなければ商売として成り立たないからだ。そもそも民間のやっている商売は、国の行政とは訳が違う。気に入らない消費者には売る義務もないし、どんな商品を発売しようと法に触れなければ自由である。誰にも不快感を与えない商品でなくてはいけない、なんて法律はない。不満を持つ誰かが少数ならば、切り捨てられてしまうのは仕方がない。

そのことを残念に思い、個人的に残念だと発言することはもちろん罪ではない。だが、そのことをいくら製作者側に向けて「主張」しても、それは全く意思表示にはならない。改善されることもないだろう。

 

Twitterで1万RT。これは多数意見?

答えはNO。ジャニーズのグループがターゲットにしているファンとは、FC加入者+未加入だがCD等商品を買う人+今はお茶の間だがやがて買う未来のファン の総計だ。グループにもよるが、その数は何十万・何百万人という単位になる。仮にTwitterで1万人が賛同しても、FC加入者が10万人いたとしたら、そのたった10分の1。未加入者やお茶の間も含めれば更に割合は小さくなる。

外見上多くの人が賛同したように見えるかもしれないが、それはあくまでも「ジャニーズのファンとしてTwitterにアカウントを持ち、他者と交流している」という「ごく一部の特殊な」ファンの行動に過ぎない。更に言えば、TwitterのRT数=同意の数、というわけではない。引用RTして批判したり、深く考えずRTする人、自動RTする仕組みの無人アカウントもいる。

ネットは、暗いところに光を当てるツールだ。少数意見に簡単にフォーカスすることができる。人権・生命・安全に関わるような重大なことは、少数意見だからと言って見過ごしてはいけない。そういった問題提起にネットを利用することは非常に有用だし、公共の利益にも合致する。

しかし、少数意見を皆に知らしめることに長けたツールを用いたからといって、少数意見が多数意見になるわけではない。マーケティングにおいて、いちいち少数意見に耳を傾けていては商売ができない。多数意見を無視してまで声の大きい少数意見に迎合しなければいけないような商品は、やがて廃れて淘汰されてしまう。新規顧客の開拓に失敗した事業は立ち行かなくなってしまうだろう。

 

結局何が言いたいのかというと

ジャニオタの最もやるべきことは、欲しいものを買い、要らないものは買わないこと。自担の仕事応援はジャニオタ最大のおしごと!と以前の記事で書いたんだけども、商品をより良くするために必要なのは、許容範囲を下回った商品を「買わない」という「意思表示」だと思う。

この2つは矛盾しているようだけれど、そんなことはない。基本的には応援しつつも、どうしても許せない事、こんなことが続くようであれば担降りも辞さないとなった事があった場合だけは、黙って買わないという意思表示をすればいい。ネットで下手に話題にすると、話題性が上がって、戦略として有効だったと判断されかねない。炎上商法なんて言葉があるくらいで、ネットでそのことを取り上げられるのは、それだけで宣伝効果があるものなのだ。

消費者の多くがそうした購買行動をすれば、多数の消費者が許せなかったことについては改善される、という仕組みが出来上がる。Sexy Zoneの3人・2人分裂問題、キスマイの格差問題なんかは、買わない意思表示によって対処すべきだと思う。(制作者側も馬鹿じゃないので、売り上げが下がるのは承知でJr.担に買わせようとしてたりする。それでも既存ファンが買わない意思表示をすれば、Jr.担の分も含めて売り上げが変わらなかったら、以前買った人が買っていないことは伝わる。向こうもプロなので、そのぐらいの市場の動きは売り上げから読み取れるはずだ。)

テレビ番組でも同じ。つまらない、良くないと感じたら、その場でチャンネルを変えてしまえばいい。Twitterでその番組について呟くなんて、それがどんな文句や不満だろうが、見てますよ!需要ありますよ!と言っているのと変わらない。

 

そして、自分だけが許せなくて買わない、ということが続けば、これは事実上の担降りである。何も悩むことはない。キラキラ輝く素敵なアイドルを求めて、別の商品に手を伸ばせば良いのだ。そうして需要のある方へと金が回っていくことこそ、資本主義なのだから。

長身音痴に惚れた話。

私はチビが好きだった。アイドルを見る際には身長170cm以下を中心にしていて、そうでなくてもなるべく背の低い子が好きだった。

アイドルの最も大きな魅力は「庇護欲を掻き立てる=かわいい」ことだと思う。もともとアイドルとは子どもがやるものであって、成人アイドルが増えた現代にあっても、その面影をより残した者のほうがアイドルとして優れていると考えていた。中居くんに始まり、キンキ、嵐、タキツバは平均身長からして小さい。山田涼介くんの凄いところは、あんなに早くデビューして身長が伸びなかったことだと思っている。

アイドルの王道はチビである。それが真理だと思っていた。

 

歌の上手い子が好きだった。ジャニーズということを抜きにして音楽が好きで、コンサートで「アイドルを見ている」ことを忘れさせるほどの歌声を誇っている人には魅力を感じていた。ジャニーズなのだから顔が美しいわけで、天から二物を与えられた者の絶対的なカリスマ性に惚れ込む気持ちはわからないではない。

坂本くん、堂本剛くん、渋谷くん、赤西くん、手越くんあたりがそうだ。圧倒的な声量とオリジナリティーのある歌声が好きだ。アイドルを音楽にまで高め上げる存在には可能性を感じる。グループに大きなコンテンツを与える「歌の上手さ」は重要な要素だと思っていた。

 

キスマイに最初に出会った時、北山くんという時間を止めたアイドルの存在に目が眩んだ。その頃彼はとっくに成人していて、それどころか20代も後半に差し掛かろうとしていた。にも関わらず、彼の容姿は10代のそれだった。これぞザ・アイドルだと思った。アイドルに求められるのは少年性。北山くんは永遠の少年だった。北山くんのインパクトが強すぎて、まだ後列にいる子にまで目が行かなかった。

その後何度か北山くんを見ているうちに、彼がチャラくてガサツな体育会系だと知った。負けず嫌いの凝り性で、納得しないと次に行けない完璧主義者なのが言動の端々に滲み出ていた。そのせいで遠回りもしていそうな子だった。

私は体育会系のノリがとても苦手だ。アイドルなんてリア充に決まっているのだが、北山くんの「勝たなきゃ生きてる意味がねえ」という感じ(※私見です)は、担当と言うまで好きになることにはブレーキをかけてしまった。でも彼のハスキーな歌声は良いなと思ったし、藤ヶ谷くんとのハーモニーもすごく好きだ。容姿もかわいくて理想的なことに変わりはないので、やっぱりアイドルとしての北山くんは好きだ。けれど、私が北山担になることはなかった。

 

ある時、友人の誘いでキスマイのコンサートに行く機会があった。その頃には後列の子もかなり顔と名前が一致しており、横尾くんと二階堂くんは顔が好みだなと思っていた。動物っぽい顔が好みなので、特に二階堂くんがカワウソにそっくりだというところは非常に魅力を感じていた。歌の上手い藤ヶ谷くん北山くん、顔が好みな横尾くん二階堂くんを中心に見よう…と思って、コンサートに行った。

コンサートの最中で気が付いた。私は横尾渉が好きだと。

彼は公称177cmの高身長で、メンバーの中で最も背の高いほうだ。だからそれまでなんとなく視界に入っていないことが多かった。しかしMCで嬉しそうに破顔しながら話す彼は、私の理想を詰め込んだような顔をしていた。澄ましたような顔なのに口を開くと舌足らずで、身体が大きいのに一番細くて、ローラーでステージを駆け回る姿はまるで少年のようだった。

あんなに身体が大きいのに、少年性を感じるなんてことが有り得るのだと初めて知った。コンサートの後半は横尾くんに釘づけだった。彼を見ていると、胸の奥から「かわいい」が溢れ出してくるのだ。「かわいい」とはアイドル側に存在している事実ではなく、こちら側の一方的な感情だと思い知らされた。だって、北山くんと違って見るからに20代後半の、177cmもあって肩幅も広い大の男が事実として「かわいい」なんてことがあるわけないじゃないか。自分の感情に混乱していた。

 

横尾くんは歌が下手だった。それはもう、アイドルレベルの下手とかそういう次元ではない。そしてダンスが殊更に上手というわけでもない。恐らく彼はかなり年齢が上がってから一気に身長が伸びたタイプなのではないか。自分の手足の長さに筋肉がついて行ってないような動き方だ。

コンサートから帰って冷静になって考えた。横尾渉は音痴で、背が高くて、しかもおよそジャニーズ王道のかわいい顔ではない。何か突出して素晴らしい芸があるかと言うとそうでもない。けれどその時、私はもう取り返しがつかないほど横尾渉に惚れていた。

笑ったり喋ったりするとちらりと見える大きな犬歯。切れ長で視線が鋭いのに、それを忘れさせるほどの笑顔を見せる。流し目の似合いそうな涼しい目に、ジャニーズ1ではないかというほど高い鼻。薄くていつも少しアヒル口になってしまう唇。全部が全部好みだった。番組ではほとんど喋ることがないが、ひとたび口を開けば目尻に皺を寄せて笑う。その皺までかわいいと思った。もう駄目だ。「落ちる」とはこのことだ。こんなに事故的にファンになったのは初めてだ。

 

横尾くんは疲れたり苛立ったりした時には眉間をギュッと寄せて、般若のような顔になる。それがまた彫刻作品のように美しかった。顰めた顔が美しいジャニーズなんて居てたまるか。石から掘り出したような彼の顔に最も似合うのは「怒り」とか「蔑み」だと思った。そんなアイドルが有り得るのか。

そして彼が最も魅力的なのは、その持って生まれた美しい顔を、全く使わないことだ。顰めた顔があんなに綺麗なのに、そうしたキッと鋭い表情なんて雑誌では全然見せてくれない。横尾くんはカメラに向かって顔をキメるのがとても下手だ。それよりオフショットで、見られてると思っていないふとした表情のほうが遥かに美しい。自分の顔がこんなに美しいことに、ここまで無自覚な人間がいるのだろうか。

アイドルは要素で見るものだと思っていた。顔、容姿、歌、ダンス、トーク、表情、パフォーマンス、魅せ方、そうしたアイテムによってアイドルという商品を評価してきた。しかし、横尾渉は違う。そんな加点式では到底測ることの出来ない魅力がそこにあった。ただ彼は美しく生まれたのだ。そして美しいその人が生きているさまを私たちは見る。それが横尾渉とファンのの関係であり、横尾渉というアイドルの在り方だった。

キスマイは、他のアイドルを見ていた時に私の中で使っていた採点シートで評価することができなかった。この採点シートで得点計算したら、絶対に北山くんのほうが遥かに得点が高いはずなのだ。それなのに私は横尾担になった。

 

そもそも私はなぜ、北山くんのファンにならなかったのだろうか。体育会系かどうかなんて、今までジャニーズを見ていて気にしたことなどなかったのに。元運動部のジャニーズはたくさんいるし、横尾くんだって運動部経験者だ。歌もダンスも上手で、少年のような顔だが一番体力があって、一番小さい最年長。本来なら私は北山担になっているはずだった。

藤ヶ谷くんは現在、横尾くんのことを「わた♡」と呼ぶ。彼ら2人の関係について切り込むと非常に字数がかかりそうなのだが、ざっくり言うと女子校の高校生のカップルごっこに似ている。ジャニーズという閉鎖的な世界で、根の生真面目さが祟って上手く発散できず、疑似恋愛の矛先がメンバーに向いてしまったのだろうと思う。だが藤ヶ谷くんは、なぜその相手に横尾くんを選んだのだろう。シンメでフロントの北山くんではなくて。

横尾くんは、藤ヶ谷くん以外のメンバーから「横尾さん」と呼ばれている。これはかなり上の先輩でも“くん”付けで呼ぶジャニーズの中ではとても異例なことだ。10代の子たちが30代の嵐を“くん”付けするのに、同世代、あるいはひとつ年上の北山くんすら「横尾さん」と呼ぶ。「父さん、母さん、横尾さん」であり、あだ名として親しみすら込められている。

横尾くんを追うようになってしばらくすると、横尾くんが確かに「横尾さん」であり、メンバーから頼られ甘えられる存在であることがわかってきた。私は最初、横尾くんを「でくのぼうで可愛い天使」だと思っていたので、かなり驚いた。「人に頼ることはまずない」と言い切るのがとても意外だった。キスマイに頼れる人がいないのだろうか。こんな可愛くて駄目そうな子が、頼る相手がいないのかと思ったら心配でならない。そういう違和感が拭えなかった。

 

ある時、アイドル誌のインタビューで「包容力」についての質問があった。それに対する彼の回答は「包容力って、要は男がどれだけ妥協するかだよね」から始まっていた。雷に打たれたような気がした。なんと身も蓋もない、けれど的を射た発言だろう。

私は彼の解釈を大きく間違っていたことに気が付いた。横尾渉は小さくて可愛い天使ではない。20代後半の背の高い男だ。しかも顔が彫刻のように美しくて、人から頼られ、気遣いも出来る。さぞかしモテるに違いない。横尾渉はモテる。それは女性からだけではない、共演者とはすんなり仲良くなるし、友達が多い・社交的という話は尽きない。人見知りもしない。そんなことに私はしばらく気が付かなかったのである。

横尾くんがメンバーから頼られているのは、横尾くんがモテる人だからだ。現実世界でモテるのは単純に顔がカッコいいとか、学歴が高いとかいう要素だけではない。顔や学歴で勝るものが他に居ても、モテる人というのはいる。そういう、いわば「人間力」みたいなものが、横尾渉にはあるのだ。「包容力=男の妥協」という真理を突いた構図を、さも当たり前のようにサラリと言ってのける、その精神性が彼の最大の魅力なのだ。藤ヶ谷くんが横尾くんを好きなのもそういう理由なのではないか。

 

私は北山くんと横尾くんの組み合わせが好きだ。最年長で熱くてとてもがんばりやさんな北山くんが、一番年の近い横尾くんには甘えることが出来るという構図がとても好きだ。横尾くんと一緒に居てリラックスしている北山くんを見ると、私は本来のチビ好きを思い出す。私はこういうアイドルが好きだったはずだ。横尾くんの隣にいる北山くんは、小さい子どものようで本当にかわいい。

そんな北山くんを甘やかしてくれる横尾くんは、とても頼もしい。背が高くて肩幅が広くて、すべてを許すような穏やかな表情で笑っている。この人は何も出来ない天使ではない。むしろ、嘘や罪を洗い流してくれるような、平らげて笑ってくれるような大らかさを感じる。美しくて優しくて、すべてを受け入れてくれる聖母のようだ。

北山くんをかわいくしてあげられる横尾くん。藤ヶ谷くんの心の拠り所となっている横尾くん。玉森くんに「辛くなったら頼れ」と言う横尾くん。弟組の世話を焼き、いつも人の面倒まで見て、でも実は自分のこともきっちりこなしている横尾くん。横尾渉という人間は、「親」の性質を持って生まれたのかもしれない。

北山くんは普段、熾烈を窮める芸能界、勝ち続けなければ生き残れないとギラギラしているのがわかる。本当はあんなにかわいいのに、あんな風に横尾くんに甘えるのに、いつも一生懸命ギラギラ戦っている。そこがとてもかわいい。やっぱり私は、本当は北山くんのファンだったはずだ。けど、北山くんのそのかわいさは、横尾くんが居て初めて成り立つ。横尾くんがいるから、北山くんは外でギラギラ戦えるのだ。

だから私は横尾くんを好きになったのかもしれない。キスマイのカッコよさ、かわいさ、あらゆるパフォーマンスを担保しているのは、横尾渉という保護者の存在だったのだ。

 

彼の2016年の抱負は「思うこと 周りと自分は 違うんだ」だそうだ。意味はまだわからない。これからわかることがあるかもしれないし、ずっとわからないままかもしれない。「違う」ことに対する悲哀は感じられない。けれどそこに孤独はある。一体何が、誰と違うのだろう。誰かそれを理解してあげられないのだろうか。それでも彼は平気で立っていて、聖母の笑顔でメンバーを包み込んでいる。

横尾渉がキスマイで一番なのは、強さと潔さだと思う。UTAGE!が放送終了するとき、「師匠」というキャラや番組に対して寂しさがあるのかと思ったが、彼はとてもすっきりした良い表情をしていた。そこに未練など一かけらもない。横尾くんはとても成長した。私の大好きだった大きな犬歯は、ある時治療して突然無くなってしまった。本人も大事にしたいと言っていただけにショックだったが、引き換えに、彼の喋りは以前よりずいぶん聞き取りやすくなった。

 

キスマイの精神的な支柱を務める、横尾渉の人間としての器の大きさ。それを一番表すのが彼の身長であり、広い肩幅なのかもしれない。私は初めて背の高いアイドルの魅力を知った。頼もしくて大きな背中をしたアイドルの魅力を。

最近では横尾くんは憑き物が落ちたように綺麗な顔をしていて、やはり個人でレギュラーが決まったことが嬉しいのだと思う。私も自分のことのように嬉しい。どんなに身体が大きくても、番組でワンちゃんと戯れる横尾くんはどうしたって「かわいい」のだ。

今さら2015KIS-MY-WORLDをレビューする

キスマイの歴代シングル売上・アルバム売上で、どちらも1位タイトルが1年以内に発売されている状況のなか、2015KIS-MY-WORLDは幕を開けた。リリースがデビュー以降最も昇り調子のなか敢行されたドームツアーとあって、期待値はこれまでになく高かった。

全体の感想として完成されたコンサートだった。構成もよく考えられていたし、何よりデビュー5年目にして、3時間飽きさせないコンサートをするのは立派なことだろう。

というわけで今さらだが、2015KIS-MY-WORLDをセトリ中心にレビューしてみる。尚DVD発売前なので、うろ覚えな箇所や間違いもあるかも。

 

 0.Opening

いきなり仮面を付けたJr.がステージ上に出てきて、コンサートの世界観を案内人として説明するという導入。客電が点いたままの明るい会場に、前触れもなくいきなりドラムロールが流れたのには驚いた。軽い客イジリで、ちびっ子と中年男性をスクリーンに映す演出があったが、これは広い客層を獲得しているというアピールを入れることで、DVDを見たライト層へ向けてコンサートのハードルを低くする狙いだと思われる。今回のコンサートはこれまで以上にこうした細部に戦略的な意図が見られる傾向にあった。また意図したものではないだろうが、最初にここでペンライトを使った煽りで客の一体感を演出したことが、コンサート中盤でのペンライト芸に繋がったのではないかと思う。

1.4th Overture

今回ジャンクションはあまり凝っておらず、映像を少し加工しただけのシンプルな作りだった。設定の「鏡の中の世界」とのリンクはあまり感じられないが、ファンタジーという意味で森の中なのだろう。メンバーの顔が綺麗に撮れていたので満足。

2.Brand New Wolrd

Overtureからアルバムリード曲は予想通りだが、のっけからフライングで7色のメンバーが飛ぶ演出にはアガる。一曲かけて上下前後に移動しながらメンステまで飛んで行くので新鮮味があった。

3.Kiss魂

Kiss魂は二階堂くんが本来のキスマイらしい曲、と言うだけあってやはり盛り上がる。リリースから数か月経っているが実はコンサート初披露であり、この曲を序盤の起爆剤に持ってくるのは効果的だった。フォーメーションダンスが特徴の曲なので、メンステでしっかり見せてくれたのも嬉しい。

4.Everybody Go

最新曲からデビュー曲へ繋ぐ配置。ローラーに履き替え外周を回ったのでお手振り曲としても機能。歌い慣れているだけにその日のメンバーのテンションが如実に感じられる曲。

5.運命Girl

運命Girlのキスマイトレインを鮮やかなメンバーカラー衣装でやると、七色が綺麗に連なって見えるのでお得感があった。Kiss魂~エビバデで盛り上がった状態の観客に向かって「俺が好きでしょ?」と投げかけてくるのが、コンサートに来たという多幸感を煽るようでドラマチックだ。

 

(ソロダンス)

ここでジャンクションとフロントのソロダンスを経て衣装替え。衣装が鮮やかな7色からガラリと白黒に変わり、ソロダンス中の映像も鏡(ガラス?)を打ち壊していく演出。盛り上がり重視だった序盤から、ここで場面転換することがわかる。

6.FOLLOW

ロック系ダンス曲で、振りに腹チラが入っているようにセクシー曲でもある。特にAメロの二階堂くんの声がハスキーで非常に色っぽい。半音が多く哀愁があって、序盤に比べぐっと大人っぽくなった印象を与える。歌詞には「光」というキーワードが散りばめられており、駆け落ちのような悲恋めいた雰囲気。

7.Luv sick

FOLLOWに続くべきシングル曲は他には考えられない。FOLLOWは報われない世界(愛の構造的欠陥)、Luv sickはそれに立ち向かい打ち壊すようなイメージだろうか。メンバーが花道を練り歩く曲として単純にカッコいい。

8.Another Future

この流れでくると曲名がパラレル的な雰囲気を醸し出す。前途多難な恋の末路はFOLLOWで既に示されており、Luv sickで開いた第六感によって別の未来を探すのかもしれない。この特徴的なダンスは毎回感動させられるので、センステできちんと見せてくれて良かった。

9.if

寄り添って歩けたなら、とそっと願っているだけの淡い物語。同じ「報われぬ想い」でもFOLLOWとは全く違う世界観。FOLLOWで触れれば熱を感じた鋭い光は、マイクスタンドを青く光らせて淡い恋を歌っている。狙った効果かわからないが、ifがFOLLOWの「アナザー」ソングとして機能したことには感動を覚える。

10.君にあえるから

光は街にそっと灯る明かりとなり、待ち合わせをする2人を照らしている。舞い降りた真冬の奇跡によってifの2人は結ばれたようだ。FOLLOWの時にはもっとストリート風の衣装が似合うと思ったが、こちらのストーリーにも繋がるようにカジュアルなモノトーンなのかもしれない。藤ヶ谷くんの声は本当にこういう優しいラブソングが合う。(ところで、この曲の藤ヶ谷くんのソロパートで横尾くんが全力で口パクして周囲をザワつかせていたらしい。このブロックの結末部分だというのにうちの子は一体なにをしているのかそんなところもかわいい。)

 

11.Be Love

物語はここまでで、ここからはキスマイの世界に戻ってくる。とてもジャニーズらしいシンメ曲で、7人の時のようにダンスをガッチリ揃えていないので、ある意味キスマイっぽくない。男性役である宮田くんをカッコよく見せることに重点が置かれ、玉森くんがしっかり女性役を演じていた。おかげでとても綺麗なカップルに見えて、BLというアングラ感はあまり無い。

12.わんダフォー

BLよりこっちのほうがキワモノである。曲を聴いた段階でカワイイで行くのか全力でふざけるかの二択だとは思っていたが、着ぐるみの色にピンクを選んだ時点で完全におふざけだ。横尾担としては少し残念ではあるが、28歳と29歳の男が本気のカワイイを狙う方がヤバいという判断だろう。そしてまさかのフライング。たいぴちゃん♀に合わせてだいぶ無理めな着ぐるみでわんわん空を飛ぶ自担かわいい。バクステに来てからJr.の子(シャルフくん?)に絡んでいた横尾くんが本当にかわいかった。Jr.の子のわんダフォーTシャツに茶色の犬耳のほうがよっぽどかわいかったのでそっちでやってほしかった気もする。

 

13.Shake body

盛り上がり曲に回帰してきた。デニム生地の水色と白のパッチワークのような衣装。7人が外周の立ち位置に着くころにはペンライトが近くの人の色になるという観客発信の演出が完成していた。会場が7色に染まる様は圧巻で、これが制御された演出でないことがまたキスマイワールドだなと思う。

14.SHE!HER!HER!

これまた序盤に戻ってきたような雰囲気だが、間でストーリーを挟んだおかげで新鮮味がある。なんとなくこの曲はメンバーカラーでやってほしい(去年のイメージかも)気がするが、デニム生地もスッキリしてて良かったかも。

15.キスウマイ

相変わらずキスマイポールがカワイイ。華やかでキャッチ―なのにカッコいい、というキスマイらしい楽曲で実はシングルの中でもすごく好きな曲。

16.LUCKY SEVEN

ハイテンションな曲ではあるが企画モノなのでもうやらないと思ってた。改めて聞くと本当に良い曲。キャッチ―・明るい・カッコいいという王道キスマイ楽曲だが、これを使うか!という意外性もあってとても良い。

17.Summer lover

これもやると思わなかった。夏らしくてカッコいい曲。アソトロに移動してメンバーが水鉄砲で客に水をかけるという演出は、単純に盛り上がるし実はちょっと色っぽくもあり、なんだかこの曲にぴったりで感心した。

 

(MC)

18.棚からぼたもち

19.てぃーてぃーてぃーてれっててれてぃてぃてぃ

舞祭組はさすがにかなりショートバージョンだった。仕方ないけど師匠パートカットは寂しい!3曲もあるからしょうがないけど…!(オーラスでは大サビあったらしい。DVDに期待。)

20.アゲてくぜ

前回のアルバム曲。アルバム曲復活当選があるってすごく良いことだと思う。フロントが白っぽいシャツとパンツで出てきて、舞祭組はジャケット脱いだだけのようだった。外周お手振り曲。

(下げてくぜ:リンボーゲーム)

大喜利

「キスマイフェアリー」と称して、妖精(幼稚園のスモッグにしか見えなかった)の格好で大喜利。これがとにかくかわいい。ジャンクションもかわいい。

21.ドキドキでYYYEEEAAAHHH!!!

フェアリーのかわいさにやられてたら、そのまま曲に入って妖精たちが花道に!この曲はCD聞いた時からコンサートで絶対かわいいと思ってた。センステで盆踊り?みたいなダンスしたり、3時間のうち最高潮にかわいかった。

(フェアリージャンクション・着替え)

 

22.Kis-My-Venus

スクリーンが割れてバンク=キスマイランドが登場。この演出だけは結構お金かけたと思う。銀ギラギンの衣装。ローラーの上手さをここぞとばかり見せつける。ここからは再びカッコいいブロックに入る。

23.Halley

ローラーであちこちに移動しながら歌うアルバム曲。これはキャッチ―・ポップ要素が強め。外周を回ってお手振りする。ビーナスで完全に会場が温まっており、回る時間も長いのでこのお手振りは距離が近い感じがした。

24.WANNA BEEEE!!!

どこに入れてもテッパンで盛り上がるこの曲が後半とは。それほど良曲が増えたのだと思うと感動する。ここでも外周を回ったり花道を走ったり、ローラーで自由に動き回るので見ていて気持ちいい。次の曲のために二階堂くん千賀くんがいつの間にかハケていた。

25.Double Up

ニカ千曲。赤青の衣装で対比するなど「FIRE!!のオマージュ」感が強いので、歌とラップでパート分けするのは良い手だったかも。やんちゃというより洗練されたオシャレさのほうが際立っていて、FIRE!!ほどキスマイっぽくはない。ニカ千らしいというより、舞祭組との差別化を図った曲のような気がする。

 

26.証

藤北がギター一本ずつ弾き語る、アーティスト風の曲。藤北はパフォーマンスにおいてはキスマイそのもの言っても過言ではないので、むしろこれはキスマイでは難しい楽曲で良かったと思う。ニカ千と比べると落ち着いた風格が際立つ。

27.FIRE!!

去年のアルバム曲で、あまつさえこれを意識したであろうニカ千曲があるのに、もう一度セトリに入れてくるのには意表を突かれた。去年と違うのは衣装の色が揃っていることと、最初からセンステで2人が近くにいる状態で始まるので、しっかりシンメダンスを見られたことだ。去年は双璧という感じで離れている印象のほうが強かったが、今年は心理的に支え合うような部分が垣間見えた気がした。

(舞祭組・玉ソロダンス、藤北衣装替え)

衣装が赤と黒のコートみたいなジャケットで本当にカッコいい。横尾くんが完全にどこかの国の帝王だった。

28.Hair

北山くんがどこかのインタビューでこれをコンサートに入れることを匂わせていた記憶が。キスマイの中で最も好きな曲なので本当に嬉しい。セクシー通り越してエロ曲。衣装のカッコよさも相俟って会場から悲鳴が上がった。

29.FIRE BEAT

今回はメンステからバクステへの移動で外周を練り歩くのに使われた曲。ダンス曲だと思ってたが練り歩くのも帝王感が増してカッコいい。バクステに集まって全員で最後に頭を振るの本当にカッコいい。

30.Eternal mind

ここまでの流れがアツ過ぎるが、ここから本当に火が出て熱くなる。特効花火大会。去年のTake overに続き、過去のアルバム曲をこんなクライマックスに持ってくること自体が奇跡的。ファンの妄想レベルのセトリに鳥肌が立った。ハードロックなキスマイが大好きだ。これからも時々やってほしい。

 

31.サクラヒラリ

センステに移動し、怒涛のロック続きで最高潮となったテンションを収束に向かわせる役割を担ったのがこの曲。キスマイの物語を「桜が咲いた」と象徴するこの曲に、ペンライトでピンクのウェーブをする演出がハマった。全員のソロパートがあるので、普段のキスマイとは変化した姿に見える。

32.Kiss&Peace

赤と黒のジャケットを脱いで、メンバーカラーのハットとバンダナを付ける。ブランコに乗って空高くから平和を歌う柔らかい歌声が降ってくるエンディング。平和を歌ったり、楽曲が普遍的なポップスっぽいのがすごくSMAPっぽい。キスマイでは少し新しいタイプの曲だと思う。手を繋ぐ演出はキスマイが上手く促してくれるのでスムーズで、多幸感もあって良かった。

 

EC1.やっちゃった

コンサート終盤でこれを踊れるのか心配していたらバンドだった。テンポがめちゃくちゃだったが、ベースの二階堂くんのギターの横尾くんが最後に背中合わせになる所なんてとてもアツい。横尾くんのソロは置きに行って歌ったのでいつもより断然上手で、ロックバンドみたいですごくカッコよかった。舞祭組の魅力は必死さなので、二階堂くんあたり歌とダンスに余裕が出てきてしまった今、バンドを披露するのは良い演出だった。

EC2.Thank youじゃん!

かわいくてキャッチ―で、今までのキスマイにはなかったパターンの曲だ。歌詞はキスマイのストーリーに乗せてあるので、アンコールの自由さがピッタリ。ツアーTが今年は白地1色で、誰が何色ということはなかった。みんなで踊れるので純粋に楽しい。

WEC1~4.光のシグナル・アイノビート・Shake It Up・キミとのキセキ

トロッコで外周を一周する間、ワンコーラスずつ歌ったお手振り曲。ここでシングル曲を一気に消化した。だが考え無しにやったのではなく、アンコールに適しているか精査されていると思う。

WEC5.Kis-My-Calling

これがないとコンサートは終われない、と言わんばかり。最後にここまでハイテンションで一体感を出せる曲は他にない。ローラーで会場を回って、全体にお手振りしてくれるので満足感が高かった。

 

本編が意図的にブロック分けされていたのは去年と同じだが、去年は歌詞や世界観に準拠していたのが、今年は純粋に楽曲のテイストを基準に分けられていた。ひとつのブロックを5曲以内にし、似通ったブロックを離したのも効いている。

楽曲をどう区分するかによって、なんとなく製作側がどう分類してるか見えた気がする。特にワナビーの配置はかなり意外だ。③に分類したい曲がたくさんあることがすごく嬉しい。

改めて構成をまとめると、

①オープニング:Brand New World~Kiss魂~Everybody Go~運命Girl

アルバムリード曲・最新曲・デビュー曲という「絶対冒頭でやるべき曲」の流れの後に、運命Girlが来るのがミソだ。ローラー曲で且つ序盤に相応しい盛り上がり曲にこれが選ばれた。

②物語:FOLLOW~Luv sick~アナフュ~if~君にあえるから

ブロックとしてまとまりを失いかねない選曲なのに、物語として成立していた。偶然でも、こうしたセトリによって生まれる物語もコンサートの醍醐味だと思っている。このブロックのMVP曲を選ぶならifだ。FOLLOWの平行世界として、暖かみと切なさが良いバランスで機能していた。

(BL・わんダフォー)

③爽やかカッコいい:Shake body~シハハ~キスウマイ~ラキセ~サマラバ

デビュー後のキスマイの王道の中でも、夏らしくて瑞々しい楽曲。このブロックのためにサマラバやラキセを敢えて選んできたのは正解だ。①や⑤との区別にもポリシーが感じられる。

④おふざけ:棚ぼた~てぃーてれ~アゲてくぜ~大喜利~ドキドキ

大喜利を挟んでのおふざけ・かわいいブロックだったが、フェアリー衣装のまま曲をやって、間延びした印象を持たせなかったのも良い工夫だ。

⑤キャッチ―明るい:ビーナス~Halley~ワナビー

これも①③と似た王道キスマイカッコいいブロックだが、ポップス要素も強めに入ってくる印象だ。少し懐かしい歌謡曲調な要素もある。今後のシングル曲なんかはこのあたりを王道にしていったら良いんじゃないかなあ、なんて。

(Double Up・証)

⑥ロックセクシー:FIRE!!~Hair~ファイアビ~エタマイ

裏王道、デビュー前のキスマイである。藤北曲が2曲続くが、楽曲の系統で言えばFIRE!!からがこのブロックだろう。ダークで色っぽい、KAT-TUNっぽいキスマイ。出来ればいつまでも組み込んで欲しい要素だ。

⑦エンディング:サクラヒラリ~Kiss&Peace

この2曲が今までのキスマイ楽曲と違うのは、とてもSMAPっぽいポップス調だったことである。去年の僕らの約束とは全く異なる。どちらもロックバンドでは恐らくやらない、普遍的なポップスらしい曲だ。

 

ひとつだけ言うならば、「鏡の中の世界」「ファンタジー」という設定を提示したのだから、もう少しリンクしていたら効果的だったのではないだろうか。ギミックが効いていたのは②だけで、あとは最初に提示していた「集大成」というシンプルさの方がしっくり来る。プレーンなキスマイを見せてくれるのも嬉しいが、そのうちコンセプト的なコンサートもやってほしい気持ちもある。

③と⑥で盛り上がりつつ④もあって⑦で締めくくるのが、現在のキスマイのテンプレートなのだろう。この先どのぐらいこれを踏襲するのか、逆に打ち壊してくるのか。数少ないバラードシングルをリリースした後ということもあって、来年のコンサートが今から楽しみである。

 DVDが発売されたら、そちらについてもレビューしたい。

キスマイはなぜ「曲が良い」のか

ジャニーズのグループに「音楽性」はない。タイアップ曲ならスポンサーの意向で楽曲のテイストが決定するし、一般知名度が上がれば他のアーティストによる提供曲なども歌いこなさなくてはならない。戦略的にイメージとは真逆の楽曲を与えられ、意図してパブリックイメージを壊すこともある。アーティストではないので、「音楽性を保守する」ことが不要だという点が、身動きの取りやすい歌い手としてアイドルが重宝される所以でもあると思う。

各グループに「これぞ!」という楽曲は一応存在するが、それ以外のテイストにも挑戦しなければならないのは、マルチタレントたるジャニーズアイドルの宿命だ。しかし、「彼らの魅力が最も引き出された楽曲」を知っているファンからしてみれば、せっかく音楽作品を世に出しているのに、その楽曲が彼ら魅力を十分に引き出せていないことには歯痒さを覚えてしまう。音楽番組に出演し、CMで流れ、番組で使われるシングル曲こそ、彼らを最も美しく、かっこよく、かわいく見せる楽曲であってほしいと願い、(そんなことは不可能だと理解しながら)そうでない曲など出さないで欲しいすら考えてしまう。

 

私がキスマイを好きな理由のひとつに「曲が良い」ことが挙げられる。もちろん彼らはジャニーズである以上、様々な楽曲を歌いこなしている。全部が全部、ファンの求めるようないわゆる「FIRE BEAT」的な、デビュー前に強く打ち出していたKAT-TUNっぽい」楽曲ばかりではない。これ光GENJI?と思うような歌謡曲チックで懐メロ系の楽曲や、10代じゃないよね?というほどカワイイに特化した楽曲もある。

それでもキスマイのアルバムを聴くと、シングル曲を並べると、コンサートに行くと、毎回思う。キスマイは曲が良い。もちろんテイストは一辺倒ではない。だがそのどれも、「キスマイっぽさ」「キスマイの良さ」をきちんと持っていると感じられる。

そもそも、この「キスマイっぽさ」とは何だろう。キスマイの活動に特に一貫性は感じられない。音楽においても芸能活動においても、「マルチであること」「多面性」のほうを重視しているように思う。彼らの発言からも冒険心の強い印象を受け、こうした姿勢は非常にSMAPっぽい」と思う。だがSMAPのように、完全に変化してしまうという感覚はない。どんなことをしていても、どんな歌を歌っても、やっぱりどこか「キスマイっぽい」。

ローラースケートを与えられている7人組ということは、一番最初に意識したのは光GENJIだろう。言われてみれば全盛期の諸星くんはどことなく北山くんに似てるような気がする。溢れ出る少年っぽいやんちゃさとか。デビュー曲のEverybody Goなんてとても光GENJIっぽい」ポップでファンタジーな雰囲気の楽曲だ。

キスマイのグループとしての経緯は特殊だ。光GENJIをイメージしたグループとして作られ、2006年頃からKAT-TUNの弟分という立ち位置となり、そしてデビュー後にはSMAPの後輩というイメージ戦略に出ることとなる。バックについたり後輩だったからと言って楽曲が影響を受けるとは限らないのだが、キスマイはとても影響を受けている。楽曲で言えば順番に「Everybody Go」「FIRE BEAT」「Kiss&Peace」がそれぞれ「光GENJIっぽさ(歌謡曲)」「KAT-TUNっぽさ(ロック)」「SMAPっぽさ(ポップス)」100%な曲と言える。

これらを楽曲ごとに配分を変えて盛り込むことで、テイストに幅広さが生まれる。配分と組み合わせによって可能性は無限である。キスマイの楽曲はそのどれもがジャニーズ各グループのいいとこどりとなっている。これがひとつ、キスマイ楽曲の特徴と言えるだろう。

 

ところが、この光GENJIっぽさ100%で作られているはずのEverybody Goを、キスマイファンは恐らくカワイイ曲だと思っていない。いや、この曲を知る一般の人もそうではないかと思う。「この時代のチャンピオンさ掴めNo.1!」「Everybody Go!」と歌う彼らが、「テッペン獲るぞ!」というハングリー精神を全面に剥き出して歌うからだ。このポップな楽曲が、彼らの声でたちまちロックな雰囲気に変わるのだ。

キスマイの声は、藤ヶ谷くんと北山くんの声だ。2人を長年リードボーカルとして立ててきた経緯からか、玉森くんや二階堂くん、千賀くんの声も2人とよく溶け合って、途中で混ざってもまったく違和感を覚えない。キスマイの声の核は「藤北」である。

藤ヶ谷くんは透き通るような深みのある声で、千切れるような切なさを持つ。彼は歌い方によってがらりと表情が変わる。強弱、フレーズ感、藤ヶ谷くんの歌の表現は本当に豊かだ。女声キーまで達するほどの高音でも、吠えるように張り上げたり、囁くようなファルセットを響かせたりと振り幅が大きい。かと思えばドスの効いたラップで圧倒したり、バラードでは細い糸のような脆さを感じさせる低音を披露する。歌に表現がある歌手はジャニーズでは貴重だが、中でもここまで表情を変えられる者はそういない。

北山くんの声はザ・ロックという感じで、普段話している時も彼のベビーフェイスからすると意外さを感じる声だ。蠱惑的なセクシーさのあるハスキーボイスで、思い切りドスを効かせてたった一言力強く歌えば、切り裂くようなエネルギーを持って響き渡る。優しく語りかけるようなバラードでは、そのハスキーさが彼の色気を倍増させ、そっと愛でるような歌声に「溺れる」ような感覚を覚える。北山くんの歌声はとにかくセクシャルで、あの童顔でにやりと妖しく笑いながら歌うさまは、禁忌的にカッコいい。

この2人の組み合わせにファンが激増した理由はこの辺りにあると思う。表現の藤ヶ谷、色気の北山とでも言いたい。あるいは切なさの藤ヶ谷、激しさの北山。2人が織り成し補い合って作られた「キスマイの歌声」は、歌としてとても面白く、色っぽい。切なくて激しくて、すべての楽曲を鬼気迫るものにする。これがエモーショナルな「キスマイっぽさ」を作り出しているのではないか。

 

となると楽曲自体は関係ないということになってしまうが、実際そんなことはない。キスマイの楽曲すべてに共通して言えるのは、クオリティの高さだ。エイベックスが優れたレコード会社であることを実感すると同時に、デビュー前の楽曲がシングル曲でもおかしくないほどクオリティが高いことに驚く。こうした恵まれた環境もまた「キスマイっぽさ」を作っていると思う。

まとめると、キスマイ楽曲の「キスマイっぽさ」とは

  1. 楽曲のテイスト:各グループのいいとこどり
  2. 歌:藤北の歌声
  3. エイベックスサウンドのクオリティ

の3つで作られており、この要素が揃っていることで「キスマイっぽさ」が作られているのではないか、という説を提唱したい。

 

余談だが、2015年10月発売の「AAO」は、ナオト・インティライミさん提供のシングル曲である。ナオトさんの楽曲といえばシンセ中心のサウンドにヒップホップ系の旋律。要するにジャニーズの系譜も何もなく、またアーティストによる提供曲のためエイベックスサウンドとも一切関係がない。肝心の藤北ボイスも、シンセの音に合わせて平べったく加工されていた。キスマイがリリースしてきたあらゆる曲の中で、ここまでキスマイらしくない曲は初めてだと思う。

その1か月後に発売された「最後もやっぱり君」はつんくさん提供曲だったが、さすがのアイドルプロデュース実績だった。恐らくつんくさんはキスマイ楽曲をいくつか参考に聞いたのではないかと勘繰ったし、パート割りにしても旋律にしても、藤北の声、キスマイ1人1人の声の特徴をよく理解していると思った。ジャニーズ音楽から乖離してはいないし、楽曲としてのクオリティもまったく落ちる感じが無かった。

提供曲を歌えるというのは推されグループならではのことで、有り難いと思わなければならない。だが楽曲提供されるということは、結成以来10年に渡って守られていたキスマイの音楽性を揺るがすことにもなる。今はシングル1曲に限った話だが、例えばそのうち1曲が大ヒットすれば、そのテイストは以後の活動で確実に尾を引くものとなる。

キスマイが10年間音楽性を守りながら、現在ドームツアーを行うグループにまで上り詰めたのは奇跡に近いことだと思う。2015年のKIS-MY-WORLDは、キスマイという作品がひとつの到達点に至ったような印象を受けた。今後これがどのように新たな音楽性を受容していくのか。コンサートで生歌を披露すればすべて「キスマイっぽさ」のなかに取り込めるのかもしれないし、変貌して全く違うグループになってしまう可能性もあると思う。

その行く末を見守りたいと思いながらも、今はまだ、現在地でのキスマイという作品を堪能していたい。1月20日のKIS-MY-WORLDコンサートDVDブルーレイ発売日を心待ちにしている。

田口くん脱退に見る、自担の仕事を否定してはいけない理由

結論を先に言っておきたい。ジャニーズタレントのファンであるならば、自担に来た仕事はすべて応援すべきだ。

自担のこういう姿が見たい、こんなアイドルでいてほしい、という要望があるならば尚更、それに反する仕事であっても一度はとにかく応援し、可能な限りの購買行動をすべきなのだ。なぜなら、彼らが商品であることを辞めてしまった瞬間、私たちは買うべきものすら失ってしまうのだから。

 

時々、自担の年収について考える。デビュー組の中堅以上なら、ある程度は歩合制だろう。出演料とリリース売上の何割か、コンサートの売上。そこから宣伝費や人件費を引いて、事務所と分け、更にメンバー人数で割る。私の大好きな人は一体どれくらいの生活レベルで暮らしているのだろう。

田口くんがKAT-TUNを辞めると発表した時、私はふと、A.B.C-Zの塚ちゃんの言葉を思い出した。夏頃に見たインタビューで、塚ちゃんが「金欠の時もある」と言っていた。「家賃が数千円足りなかった」(記憶が曖昧、確か2千円ぐらいだった覚えが)と。天下のジャニーズタレントが、数千円という単位で金欠になるなんて…と、衝撃を受けたのを覚えている。

2006年、あれほど派手にデビューしたグループはSMAP以前まで遡らなければならないのではないか。世の中じゅうがKAT-TUNに沸いていた。時代を変えるようなエネルギーすら感じた。ジャニオタにとってKAT-TUNは伝説のグループだ。ついついKAT-TUNというブランドとして見てしまう。

だが、ここ数年KAT-TUNのシングルCD売上は累積でも20万枚を切っている。冠番組は24:50~の30分番組。亀梨くん1人の業績はじわじわ伸びているが、それでも最近目立ったドラマのヒットは妖怪人間ベム以来なく、グループ単位では低空飛行と言うしかない。今が低いというより、デビュー時が高すぎた。

 

ジャニーズ事務所は、売上がふるわないからといって解雇にはならない。その安定した身分を捨てるのは、相当に大きな決断だ。当然、給料について考えないわけがない。普通に考えれば、給料が下がるなら転職のブレーキになるし、上がるなら反対に後押しになるが、KAT-TUNを出て、給料が上がるなんてことがあるだろうか。恐らくないと思う。

けれどジャニーズであること、グループであることは「枷」でもある。もし収入に変化がないのであれば、転職によって安定性と引き換えに自由度は上がるだろう。そこを取るのだとすれば、転職が魅力的に思えることもあるかもしれない

彼にとって、ジャニーズ事務所から受け取る給料は、転職を思い止まる理由にはならなかったのである。

 

言うまでもないが、仕事が多ければそれだけ給料も多くなる。私たちがアイドルの仕事を気に入らなかったとき、もし仮に望んだ通りその仕事が無くなったら、その分彼らの収入は減る。そして私たち消費者が売上や評判、視聴率などという形によって、彼らの仕事を奪うことは不可能なことではないのだ。裏を返せば、購入する、評価する、見る、話題にするという消費者の行為ひとつひとつが、彼らの収入に繋がってもいる。

アイドルに、転職を考えさせないだけの収入があるだろうか?転職が頭を過ぎった時、アイドルであることが苦痛になった時、何らかの事態が起こった時、思い直し立ち上がるだけの収入が彼らにあるだろうか?それを願わないのであれば、アイドルが「辞める」と発表しても、悲しむことすらできない。

私たちは自担の仕事が気に入る気に入らない以前の問題として、彼らの収入を心配すべきだ。彼らにアイドルでい続けてもらうために、私たちに唯一できることは「金を使うこと」なのだ。

 

ジャニオタにとってKAT-TUNは伝説のグループだ。現代ジャニーズの歴史はKAT-TUNなくしては語れない。KAT-TUNがデビューの勢いのまま2~3年続いていたなら、今のSMAPも嵐もなかったのではないか。そしてKAT-TUNの栄光と失速がなければ、今のキスマイは絶対に生まれなかった。関ジャニが突出してくることもなかったかもしれない。ジャニーズJr.という市場自体、黄金期を終えると共にもっと縮小していた可能性もある。

どこかで、「あのKAT-TUN」という意識があった。4人になって、セールスで言えば相当落ちているのはわかっていたのに、私は今回の発表があるまで、どこかでKAT-TUNというブランドを信じていたのだ。

決然とした田口くんの表情を見てやっと、KAT-TUNは、私が思っていたような生温い状況にはいないのだと気が付いた。ジャニオタの中でいくら高い評価を受けていても、だから安心などと思ったら大間違いなのである。反対に、誰にいくら叩かれようが視聴率やセールス枚数は裏切らない。興業がビジネスである以上、その価値は金額で判断される。

 

ジャニーズ事務所は、ちょっとやそっとではデビューさせたタレントを解雇しない。新人も、絶頂期が過ぎて売れない者も、ずっと事務所に置いて仕事を与える。また、ジャニーズJr.からは一切レッスン料を取らずに先行投資として育成する。そのために、デビュー組は利潤を上げるという使命を持っているのだ。しかし現在、デビューしてすぐにそれほどの利潤を上げられるグループ・タレントは少ない。

デビューから10年、15年と経ってから大きな利益を生むグループに成長することもあるので、事務所はこのシステムを未だ続けている。そして現状、SMAPや嵐の出す大黒字によってこの仕組みを支えている。これにより、基本的にデビュー組が食いっぱぐれることはない。これには先行投資の意味合いだけでなく、テレビ局や業界から「ジャニーズのタレントは潰れない」という信頼を得るためでもあると思う。

結果、ジャニーズ事務所では中堅と呼ばれるグループが非常に多くなってしまった。数年前までならV6も中堅と呼ばれただろう。KAT-TUNの失速に伴いキスマイが力を付けたため、Jr.市場が想定ほど縮小しなかったことも要因だと思う。

 

中堅=嵐より下~デビュー3年以上と定義しても、タキツバ、NEWS、関ジャニKAT-TUN、ジャンプ、キスマイ、セクゾ、えびと、8グループも存在する。人数にすると43人。ソロ活動する者も含めれば更に多い。この43人のうち、2015年12月現在で31歳(嵐より下)~26歳(現在の最高齢デビュー年齢)の者は17人。山下智久という大物と並ぶこの世代にとって、あと僅かな席を取り合うことは運命付けられている。この年齢から、事務所が今以上に大きく推すということも難しくなってくるだろう。

ジャニーズにおいて現在この年代がどれほど稼げば合格ラインなのかという線引きは不明だが、ハードルを低く見積もっても、半数程度しか合格ラインに達していないのではないかと推測している。その半数も、自らにかかるコストや先行投資してもらった分を充てるだけで精一杯ではないだろうか。

中堅では採算が取れず、ベテランの売上を当てにしなければならない。そのうち例えば半数がベテランとしてやがて稼げるようになったとしても、残りの半数はこのまま売り込みを続け、トントンか微赤字のまま抱えていかなければならないのである。

 

そんな状況のなか、抱えているタレントに「辞めます」と言われたらどうだろうか?必死に引き止める?グループにはお前が必要だと言う?残念ながら現実はそこまで甘くない。

「別にいいよ。ただ残ったグループの立て直しだけ考えたいから、時間ちょうだいね。」という程度だ。

田口くんがどれほど稼げていたかを検討するつもりはない。だがジャニーズ事務所は、田口くんの退所に合意したのだ。もしも田口くんが退所されたら大損失だというタレントだったなら、事務所の対応は全く違って、かつての森くんのように必死で引き止める・退所を許さない方向なっていただろう。それを振り切って退所することと、引き止めるでもなく退所に合意するのでは全く違う。

もしも事務所から反対を受けたのなら、あんなに穏便に退所を発表することなど出来ない。事務所から裏切り者と見做され、退所した後で芸能活動をするのは絶望的だ。それを振り切らなければ退所出来ないとなれば、退所を考え直すかもしれない。気に入らない点があるならば改善に向けて交渉する余地が生まれたかもしれない。しかし事務所に退所を認められてしまったら、交渉の余地もない。

自担はジャニーズにとって重要なタレントだろうか?もし自担が退所したいと言った時、事務所は引き止めてくれるだろうか?

 

全く同じ理由で、新規ファン優遇策や新規ファンを敵視することも間違っている。ファンクラブ料金は、名簿維持費など考えれば、会報が届く・コンサートに申し込める・メールで情報が届くという特典で十分見合った料金だ。年会費4000円は、これ以上の優遇を望むほどの金額ではない。固定ファンより、ちょっと興味が沸いた新規ファンがコンサートで更に好きになってくれるほうが、これからの購買力になる。新規より古参ファンがコンサートに行くべき、と語る人もいるが、古参ファンがこれから2倍金を使うということは考えにくい。一方新規ファンは、これからいくらでも金を使う余地があるのだ。

新規ファン歓迎・自担の仕事応援。これがファンの最も重要な仕事である。

田口くんを事務所に繋ぎ止める方法が唯一ファンにあったとすれば、もっともっとファンを増やして今の何倍も金を使うことだった。しかしそれは個人の力では難しい。どうしたって事務所の「推し」は限られている。プロモーションの力が大きい。

だから自担に売れてほしい。実力があるかなんて、顔が綺麗かなんて、売れている人が本当にそんな理由で売れてるかどうかなんてわからないし、それは私たちが考えることでもない。ただ売れて欲しい。実力がなくても歌が下手でも滑舌が悪くても、推されてファンが増えて売れて欲しいのだ。それはもうどんなに実力が足りないと言われたって、その人を好きになってしまったのだからどうしようもない。(横尾担は常に新規ファンを歓迎します!!!!

 

消費者であるファンには自由がある。必ずしも大金を落として文句を言わない優良なファンでなければいけない「義務」ではない。ただ、もしネットで悪評を書き立てる悪質なファンでいることを選択するならば、それはアイドルを事務所から退所させる要因になってしまう可能性があることを念頭に置くべきだと思う。

もちろん、アイドルにそこまで肩入れすることはない。良いと思うものだけを買い、好みでなかったら「買わない」ことを選択すればいい。購買行動こそが意思表示だ。だが、採算が合わないという理由で活動が制約を受けたり、アイドルがアイドルであることに苦痛を感じることはリスクとして存在する。

そしてもともと、それがアイドルという商売だ。「俺が困らないようにお金を使ってね!」という、身も蓋もないが、ホステスの色恋営業と仕組みは同じ。高校生ならいざ知らず、少しでも経済活動に携わっている大人なら、そんなことはとっくにわかっていてアイドルを好きになるべきなのだ。大人なのだから。

歌うこと、表現の感情と技術

11月24日、ベストアーティスト2015でKAT-TUNがパフォーマンスした、Dead or Alive。田口くんが脱退を発表した直後。メンバー3人の様子から見るに、彼らは「ここで言わせさえしなければ」と思っていたように見える。3人にとっては、遂に「3人のKAT-TUN」に向かって動き始めてしまった、その1曲目なのだ。

ジャニーズの歌は、そのグループのストーリーが乗ることがある。KAT-TUNのBirthは「赤西仁との決別・再生の歌」と言われた。SMAPのベストフレンドは流れるだけで中居くんが涙ぐむ曲として有名だ。NEWSのフルスイングや愛言葉は端からそれを狙った楽曲だし、キスマイのFire Beatは彼らのハングリー精神を象徴している。Dead or Aliveは確実にそういう曲になる、と感じた。これは田口くんとの別離の歌だ。例えるなら、3人のKAT-TUNにとっての「フルスイング」だ。

そのDead or Aliveで、私は今までKAT-TUNで見なかったものを見た。亀梨くんは音程を外していた。上田くんは涙声だった。中丸くんはほとんど踊れていないと言ってよいほど動揺している様子だった。こんなKAT-TUNは初めて見た。KAT-TUNとは、どんな時も安定したクオリティを見せてくれるグループだと思っていた。その彼らのこんな姿は、この10年で初めて見るのではないだろうか。特に鳥肌が立った部分がある。

「時が終わるまで I' ll never let you go alone 挑んだGAMEはリセットできない 背負う闇も連れて」

歌詞がハマり過ぎだ。まるでこの時を予期して書かれたのではないかと錯覚するほどに。こういう運命めいたものを見るのはショーの醍醐味だと思うが、これはなかなか残酷だった。きっと亀梨くんも歌いながら、この一文を和訳したに違いないと思っている。語尾が震えた。そして息を大きく吸って、次のハイトーンを歌った。歌ったというより叫んだ。泣き叫ぶように放った。亀梨くんはさほど音域の高い人ではない。高温になると声が細くなったり、不安定になってしまうこともある。けれどこの時、彼の声は力強く伸びた。そこにはどうしようもない感情が強く強く乗っていて、思わず涙が出そうになった。

表現者にとって、表すべき感情を持っていることは財産であると思う。しかしそれを、表現する都度にコントロールして常に同じように表すことは難しい。KAT-TUNは、常にプロとしての表現を出すグループだった。少なくとも私にとっては。だからこそ、生の感情がそのまま乗った歌は、とてもKAT-TUNらしくないと思った。

けれど私はこの類の生々しい感情そのままな表現が、結構好きだ。そういうものがショーの良さのひとつの形だと思っている。今まであまりKAT-TUNの表現そのものに惹かれたことはなかった(楽曲や踊りや歌は好きだ)が、この亀梨くんの大サビは、震えるほど良いと思った。今までのKAT-TUNとは違う種類の良さだ。

 

と同時に、この種類の良さには物凄く見覚えがあった。「藤北感」だ。
藤ヶ谷くんと北山くん。キスマイのパフォーマンスにおける不動のツートップ。彼らは常に全力だ。疲れてくるほどむしろ必死さに拍車がかかる。いつも何でそんなに全力なのかわからないのに、千切れそうに必死で、意味もなく泣きそうになるほど頼りなくて、力強い歌声。地の底から恨み節でも言うみたいに歌い叫ぶ姿に、時々、ステージ上で死んでしまわないかと本気で心配になる。
彼らがシンメでお揃いに持ってるわけのわからない切迫感と同じ種類のものを、あの瞬間、亀梨くんが確かに放っていた。そんなのは初めてだ。キスマイを通してKAT-TUNを見ることはあっても、KAT-TUNを通してキスマイを見るなんてことはなかった。想像もしたことがなかった。私はキスマイを悪く言っていいという風潮は見方が偏っていて好きではないが、KAT-TUNはキスマイよりプロ意識の認識について上回っていると思ってた。キスマイにはプロ意識よりも感情で歌うという表現があり、そのエモさも魅力のひとつであるが、仕事としてをアイドルやってる以上、本来であればKAT-TUNの姿勢のほうが正しいとも思ってきた。ここまで生々しく本物の感情で歌うKAT-TUNは、きっと初めて見た。
 
3人の態度は動揺が強すぎる。事務所は生放送での発表を許した。双方合意したとも書いている。テレビ局には注目度が上がるというメリットがある。だが3人のコメントでは、「悔しい」「引き止めた」「分かり合えない」と、全く円満な様子がない。事務所とは全く違う態度だ。今回は赤西くんや聖くんの時とは全然違う。会社とは話がついているのに、メンバーとは完全に決裂してしまったような雰囲気さえある。今までは問題児を切り捨てた、という印象だったが、今回は違う。あんなに決然とされてしまったら、切り捨てられたのはKAT-TUNのほうになってしまう。こんなに感情的に動揺する亀梨くんを見たのは初めてかもしれない。しっかりカメラの前に立っていながら、ここまで動揺している姿は。
キスマイでは、こういう感じはちょくちょくある。筋がわからないのか、わかっても感情が追い付かないのか、カメラの前で動揺する。大人としては少々情けないが、私はこの生々しさが結構好きだ。みんな腹に一物抱えながら笑っているような、必死に「仲良し」をやろうと奮闘しているような。そのメッキがはがれかけて、仕事を一旦放棄してでも修復しようと奔走するような。キスマイのそんな姿を、くだらないと看過したり幻滅したり出来ないのは、ほかでもないKAT-TUNのことがあるからだ。

キスマイの馴れ合いは激しい。公私混同も甚だしい。例を挙げれば枚挙にいとまがない。そんなにして息苦しくないのかというほど自ら相互監視と束縛をして、しかも嘘や誤魔化しを許さない。そこに嘘が介在すると、横尾くんのように謝罪して、禊ぎとしてメンバーに人生を捧げなければならないらしい。(自らそう語った1万字インタビューは批判されまくった上に、単行本として出版までされてしまうプレイである。多かれ少なかれ自分を悪く言ったに違いないだろうに、真実になってしまったのはそこそこ酷い仕打ちだと思う。自業自得だけどファンとしては心配な部分でもあった。)
そんな風にする理由は、きっとKAT-TUNの人数が減っていく理由と同じなんじゃないかと思う。なんなのかはわからない。そこがジャニーズの深い闇であって、グループというものが一筋縄では理解できない存在である所以だと思う。だからこそ、ジャニーズは面白い。そこが知りたくてもっともっとアイドルを見てしまう。商品のすぐ傍らにある闇が見たくて、ついついまた買ってしまう。
結局彼らは似ているのだ。そしてそれを別々の方法で、なんとか繋ぎ止め維持しようと必死なのだ。
 
話が逸れてしまったが、初めてKAT-TUNと亀梨くんにキスマイを見た記念にこれを書いた。藤北ってこういうことか…と、Dead or Aliveをリピートしながら思う。今までのKAT-TUNのあらゆるパフォーマンスの中で、これが一番心が震えた。藤北にいつも感じる、わけのわからない感覚に襲われた。
期限付きの4人のKAT-TUN。展望の全く不明な3人のKAT-TUN。私はいま、KAT-TUNのFCに入ろうか葛藤している。もちろん、「藤北感のある亀梨くん」を見るためではない。彼らがKAT-TUNのパフォーマンスを取り戻すプロセスに期待しているのだ。

職業・アイドルの「大人として」の責任

※田口くんについての話ですが、彼の脱退理由・動機について考えるものではありません。田口くんの態度について評価するものです。

 

現在、田口くんについて批判や混乱の言葉がネットに溢れている。彼の発表を、単なる転職として捉えられなかった人はとても多い(それも感情的には理解できるし、責められない)。だが事実、彼は問題を起こしたわけではない。理由がなんであれ、まごうことなき転職である。

ゴールデンの生放送で、残るメンバーではなく辞める田口くん本人の口から発表することができたことは、これを裏付けている。辞める人間なのだから、本番でとんでもない問題発言をしてもおかしくない。生放送では編集もできない。辞める田口くんがそれほどまで信頼されているということが、まず私の見てきたジャニーズで初めてのことだ。恐らく多くの人がそうだと思う。

皮肉なことだが、これだけの話題性を今のKAT-TUNで生み出す事態はほかに無いだろう。現に最新DVD「9uarter」はこの発表以来、再び売上ランキングに浮上してきた。彼は事務所との折り合いの中で、このタイミングでの発表を選んだ。選んだというよりも、事務所の提案に合意したというのが実際のところだと思う。この時点で、田口くんが事務所との関係に何の問題もなく「転職」するのだと理解できる。

 

亀梨くんはきっとファンや周囲の人への責任感から、何度も謝罪を口にした。だが田口くんが謝罪したのはメンバーに対してだけだった。この態度が批判を受けているが、では田口くんに問題があったかというと、そうではない。心情的に亀梨くんはじめメンバー3人に同調してしまう気持ちはわかるが、彼が迷惑をかけたのは、本当にメンバーだけだ。事務所がどんな判断なのかはまだわからないが、彼の転職を許している。転職が迷惑なら、事務所が彼を引き止めて許さないだろう。

 昨日更新された田口くんのブログも、非常に整った、筋の通った話だった。ベスアで言った内容に、今後の展望を不透明にしかできないことが申し訳ない、という部分が加わっていた。メンバーの発言から、少なくとも半年以上の検討の末に転職を決めたのだから、転職先にアタリぐらいはつけているだろう。しかし春まではジャニーズという会社の人間であり、他社で働くことを詳細に話せないというのも納得できる。(まだ憶測でしかないが、私はこの部分を見て、田口くんがソロで音楽または芸能活動をする可能性は高いのではないかと思っている。)

 

田口くんは、KAT-TUNを応援してね、でも、俺の新しい人生を応援してね、でもなく、「3人のKAT-TUNをよろしくね」と言った。 

社会人として果たすべきは、給料分の仕事に責任を持つことと、雇い主や組織に不義理をしないこと。辞めるとなった今でも、春まではKAT-TUNを勤め上げ、事務所の利益を損なう発言はしない。脱退時期は番組に迷惑をかけない時期を選ぶという。何の問題もないどころか、15年務めたKAT-TUNという仕事を終えるにあたって、しっかりと責任を果たしている。

ベスアの時、彼は心中穏やかで笑っていたわけではないと思う。けど笑って、震えながら話す亀梨くんを、神妙な顔で俯いている上田くんと中丸くんを、見守っているように見えた。きっと彼のなかで、KAT-TUNへの情は全然切れていない。

脱退の理由は現時点ではまったくわからない。だが、事務所とこれほどきちんと話をつけ、筋の通ったコメントを書き、生放送でしっかりと発表することが出来る彼が、決断した。私はこれまでの田口くんの言動を隅から隅まで見ていたわけではない。この顛末だけを切り取って見ても、脱退するという決断を実行するにあたり、これ以上ないほど立派な対応だと思う。

10年以上KAT-TUNを見てきて、こんなに田口くんを中心に見たのは初めてだ。田口くんの肝の据わった笑顔と、完璧にKAT-TUNを魅せるパフォーマンスは、最高にカッコいいアイドルだった。こんな人がいるのに今まで気が付かなかったのかと、少しだけ後悔させられた。

 

だからと言って、KAT-TUNを失うかもしれないという不安とか、田口くんが見られなくなってしまうかもしれない不安が消えるわけではない。彼が社会人として立派か立派じゃないかなんてどうでもいい、というのがファンの本音かもしれない。どうしてもKAT-TUNを離れることが許せないかもしれない。

けれど、円満に転職する田口くんが、社会人としてなっていないと非難されることだけはなんだか腑に落ちなかった。私は例え結婚が理由だったとしても、転職先がろくに定まっていなかったとしても、ここまで事務所と話をつけ、穏便に事を運んだことが立派だと思う。

私はむしろ興味が沸いた。ただ単にひょろ細くてKAT-TUNの端でスベリ散らかしていた彼が、知らぬ間にこんなに立派な大人に成長していたのかと。KAT-TUNにとってもこのことは転機になり得る。事務所が許したのは伊達ではないのではないかと思っている。彼らがどんな運命を辿るのか、どっちに転んでも見届けたいと思った。

 

(いきなり7000字を超えてしまって吃驚してる。自担のことでもこんなに書けないんじゃなかろうか。)