この愛を欺けるの

にっちもさっちもどうにもこうにもなんでもあり

Φ・Twitterやめてわかったこと

 Twitterからフェードアウトして、3つ季節が過ぎました。

 もともと怖くて、Twitter上でさえあまり人と関わりを持てなかったので、私がフェードアウトしたからといって世界にはなにも起こってはいません。横尾さんのことを、どう思いどう言う人が居たとしても、実際に世界にはなにも起こらないのと同じです。

 インターネットなんてそんなもの。所詮はすべて机上のもの、匿名のものに過ぎない。だから私が文章を書くとしたら、もっと気楽なものでいいと思いました。もともと自己満足なのだから、脳内から溢れないようにアウトプットする程度のものでいい。

 

 そんな気持ちだけで書いたので、とてもまとまりのない文章です。

 また、過去のブログとまったく整合性がありません。

 

 今まで、文章力や構成力が足りないので、完結させられずに終わった文章がいくつもありました。それは私がどこかで、誰かの共感や同意を得て、承認されることを求めていたから。

 それをインターネットに求めたら、地獄。

 インターネットの良いところは、現実世界では出会えないような人数の人たちと、出会えないような種類の人たちと、いとも簡単に出会えること。それに伴って起きることは、現実のあまりの多様さに、同一至上主義で育った私たち日本人がどう接したらいいのかということなのかな。

 いまのところ、その答えはない。はじめから当たり前のように隣人として多様性が存在するわけじゃない社会で、すでに同調圧力による淘汰を生き残ってきた私たちが、どうやって本来の人間の多様さを受け入れればいいのか。私にはわかりません。

 

 Φ・空集合です。本当に自分のためのエントリです。

 

 

 

 インターネットに踏み出す前から、また特定のグループにここまで強く感情を傾ける前から考えると、なんだかんだもう15年くらいジャニーズを見てきた。物心つく前から喜んで見ていたらしいので、もう本能的にジャニーズの音楽が好きだったのだと思う。

 なにが言いたいかというと、インターネットを使えるようになるより先に、ジャニーズを見る習慣がついていた。だから、ジャニーズのファンというのは現実の世界で出会うだけで、インターネットでの繋がりを求めたこともなかった。そして、私が現実で出会うジャニーズのファンもまた、そういう人たちだった。

 今ほどSNSなどが発展しておらず、そもそもインターネットは私にとって、人と関わる場所ではなく、ただ情報を得たり、1人遊びのための道具だった。

 

 そうした経緯から、私は性質としてはジャニオタなのに、ジャニオタという存在や、その世界をまったく知らないでファンをやっていた。

 たぶん、今でもそういう人はたくさんいると思う。インターネットを使わない人などいなくなった現代でも、「ジャニーズのファンと関わろう」と思わなければ、意外とこの「ジャニオタの世界」には辿り着かない。

 ・・・あと、ここで言う「ジャニオタ」は、同胞以外のネット民からの評判はとにかくよくない。ネットは男性社会だった時代が長いので、仕方ない部分もあると思う。そのイメージが先行しているから、近寄らない人も多い。

 そこに世界があることを知りながら、敢えて避けている、というファンも実際何人も知っている。

 

 でもこの、ネット上に存在する「ジャニオタの世界」を一回知っちゃうと、これがファン全体であるような錯覚に陥ることがある。いや、そんなのバカでしょと思われるかもしれないけれど、そうじゃないと知っているはずの私は、陥った。

 ファンって、オタク以外に誰がいるの??ファンになったらみんなオタクになって、ここに辿り着くんじゃないの??

 答えはノー。実は、ジャニオタの世界で思われてるよりも、ジャニオタってファンの中で少数派。現実ではそれがありありとわかるのに、ネットに来ると途端にわからなくなる。

 そもそも人間って、なにかを好きになっても絶対オタクにならない人種っていうのが居て。私みたいにオタクになるタイプの人種は、友達もみんな類友でオタクになる性質を持ってることが多いんですけど、だから世の中ってみんなオタクでは?とこれも錯覚するんですけど、実際はそうじゃない。

 たぶんテレビとか作ってる人って、オタクじゃないんですよね。エンタメのファンだけどオタクじゃない。だからオタクの気持ちって絶対わからないんだろうなあ。

 

 そう考えると、最近は一億総オタク化っていうか、オタクが本当に市民権を得てきたな、と思う。一番極端な主張をフォーカスするインターネットの特徴のせいかもしれない。

 というか、オタクってなんだろうな。好き気持ちが重くて、そのぶん嫌もとても重くて、繊細で過敏な人たち。鈍感な人って能力が高いんですよね。不条理だけど、痛みを感じにくいほうが生きやすいに決まってる。

 でも、オタクみんなが同じ部分に過敏なわけじゃない。舞祭組の「ぶさいく」という読み方がどうしても気になり続ける人もいれば、私みたいにとっくに慣れた人もいる。そんな私は、自分が好きな人のことを批判されたり、マイナスの感情で非難されることには極度に弱い。

 

 そんな、過敏と過敏がぶつかることが多様性だとしたら、私は「たくさんの人と出会う」ことの恐ろしさに慄いてしまう。

 

 つまりこれが、私がTwitterを見なくなった理由です。

 それでもアカウントを消さないのは、単純に情報ツールとして便利だからもあるんだけど、やっぱり未練があるからだろうな。諦めきることは出来ていません。中途半端さがある。だからブログを更新する。

 結局自分自身が弱いから、強いひとを見て補完したい気持ちがある。それが私にとっての横尾さんなんだろうな、と。最近ひしひしと感じています。

 

 

 ジャニオタの世界を知ってから、自分の「好き方」が、多くのジャニオタの人たちとどうやら違うような感覚があった。

 私は横尾さんの物理的な部分が本当に好きで、容姿がとにかくなによりも好きで、動き方とか笑い方が好きで、話す言葉が好きなんです。つまり、「事実として何があったか」「どうであるか」が一番好き。

 ジャニオタの中には、「どうあるべきか」「どういう気持ちか」をとても大事にしていて、言動やパフォーマンス、セットリストの中に感情的意味合いを持たせることを好む人が多いんだなと、近頃ようやく気がついた。

 

 私がレポを読むのは、「どうだったか」を知りたいから。それは、誰の目にも変わらないこと。どんな言葉が発され、誰が誰に触れ、何を歌い踊り、なにがそこで行われたのか。

 意味や感情は自分で推測するので、本当は、事実だけを聞きたいんです。

 Twitterの上には、意味や感情の推測をした上で、それに対する批評まで付け加えたレポが本当に多いですよね。他の人の推測を聞くこと自体は、面白いと思う。でも、あくまで推測でしかないその意味を、肯定して喜ぶならまだしも、非難したり悲しんだりすることは、私には理解できなかった。

 事実ではないのだから、そこにはなにもない。その人が悲しんだり怒ったりしているようなことは、なにもないのです。そして、「ない」ことを否定することの難しさは、感情的に波立っている人には恐らくわからない。まして他人である私が、説得するわけにもいかない。

 

 私も私で、そんな言葉を見てもなんとも思わなければいいんだけど、自担やキスマイについて、感情的に批判されることが本当に耐えられないんですよね。これは私の過敏なので、こちらが意識して避けるしかない。

 今では自分に合うまとめサイトを見つけたので、主にレポはそこで見て、必要な情報だけを検索で引っ張ることにしましたが、タイムラインでレポを見ていた時には、本当に日々小さなストレスを蓄積させていました。

 趣味でファンをやっているのに、ストレスを溜めるなんて本当に馬鹿げている。

 ひとつひとつのストレスが小さいのと、コンテンツそのものへのストレスではないことで、自覚するまでに時間がかかってしまって。そんな馬鹿げた状況に甘んじて、うっかり2年間も経ってしまいました。

 

 これ、全部Twitterやめて半年ぐらい経ってからようやくわかったことなんです。

 ネットで病んでる人、ほんと、思い切ってやめることも大切です…。なんで病むのかって、考え方が歪んで、実際には存在しないような世界を見てしまっているから。そして、治るまでに結構時間かかる。

 自分の考え方が知らず知らずの間に歪められていたことに気付いたのは、半年間Twitterを一切見ずにいたから。途中で少しでもタイムラインを追ったら、気付けなかったかもしれない。

 

 普通に考えて、アンチがどれだけ騒いでいようと、実際担降りする人って少なからずそういうタイミングだったんですよ。そこに切っ掛けが与えられただけで、それが無かったら防げたかって言ったらそんなことはない。遅かれ早かれ、降り時だっただけ。

 私は横尾さんの長髪が本当に大好きで。しかも、今年のキスマイのシングルはその髪型がどれもバッチリ似合うようなコンセプトで、今年長髪にしてた横尾さんって本当に天才だと思うんです。で、仮にそう思わない人がたくさん(数千人)いたとしても、横尾さんってたぶんそんなことで髪型変えないしね。例え叩かれてても、私は何も損はしない。

 横尾さんが肌荒れしたり、ひどくむくんだりするのって、ここ数年決まって春と秋なんです。そして毎回必ず長引くことなくすっきりと元に戻る。私はアレルギーがまったく無いので詳しくありませんが、時期を考えれば花粉症の影響ではないかな。毎年毎年そこで騒ぐ人がいるので、横尾さんって毎年新規が増えてるんですね。(※嫌味です)

 ついでに言うと、横尾さんって「自信がない人」ではないんじゃないのかな~~~って私には思えてならない。もうこれは3年前から思ってることだけど、本当に自信がない人ってあんな堂々としてないし、「自信がない」なんてハッキリ言えないんじゃないかな。

 

 自分がどうせ買うCDの売上って、神経質に気にしても、どうせ買うんだから何も変わらないと思うんです。精神衛生上悪いだけ。

 2015年の時点では、キスマイのファンって「売上よりファンの声聞いてよ!」みたいな人が多くて。売上大事だよ?って本当に思ってました。それが180度逆になったことにも、戸惑っています。最近は、もう言う意味が無くなってきていると思う。

 シャララの時、あんなに加熱したのは、相手が同じアイドルで、しかも接触商法で売るやり方だったからではないですか。枚数がどうこうではなくて、負けるのが嫌だったからです。一回限りの状況に対する反応だった。それが何だか、枚数に執拗にこだわることへと変化してしまった気がする。

 売上を神経質に気にして、楽観視するのはおかしい!と主張する人ほど、推測が奇妙なのも気になります…。「これが売れたらまた格差に戻るよ!」って、マーケティングや売り込み戦略のプロって、そんな単純? 様々な要素を総合して考えたり、舞祭組との兼ね合い、キスマイとしての中期・長期的な戦略があると思う。もう新人じゃないし。

 まあ、仮にそうでなかったとして、私に出来ることはなにもないので、議論しても仕方ないんですけどね。格差になったらそれはそれで、濃色の衣装が横尾さんには似合います。

 あと、数千枚の変動って誤差レベルではないかな?過敏すぎる気がする。

 どちらにせよ、音楽業界全体がこれだけ冷え込んでる中、ジャニーズって接触商法も大してやらずに頑張ってる方です。配信しろって言う人もいるけど、それはオリコンの権威が失墜しないと難しいと思います。ジャニーズへの入り口がネットになる未来があるかないかなんて、想像しても意味なんてないし。

 

 なにより、売上枚数が低いから解散する会社ではないということを思い出したらいいんじゃないかな。2016年からこっち、みんな不安すぎる。

 逆に言えば、売れてれば安心なんてそんなことはないし。そこまで依存しちゃいけないんですよね、結局。民主主義で資本主義の社会では、なにかに依存していいようにはなってないんです。

 

 

 目の前のことを楽しむだけ。今を楽しむだけ。そこにあるものを楽しむだけ。

 ないものはないんです。あるものだけがあるのだから、ないものを求めても仕方ないし、ないことに嘆くのは馬鹿らしい。

 もうそのことを忘れたくないので、書きました。