この愛を欺けるの

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ドラマ「MARS~ただ君を愛してる~」の圧倒的二次元感

藤ヶ谷くんがMARSの主演に抜擢されたと聞いた時、注目の若手俳優窪田くんとのW主演という点は非常に気になったのだが、それ以外は正直言って、ほとんど期待していなかった。

私はそもそも、漫画やアニメの実写化に大きな偏見があった。漫画やアニメで良い作品が、媒体を変えて良いとはまったく限らないのに、タイトルの知名度や原作ストーリーに頼ったドラマでは良い作品にはならない。常日頃からそう思っていた私は、少女漫画の実写化であり、深夜枠で、主演2人以外にキャリアのある俳優もいないこのドラマに、多くは期待できないと思っていた。

 

1話・2話まで見て、私はこの作品が期待を大きく上回る可能性を感じた。もともと少女漫画もさほど好きではないので、キスマイの子が出ているから一応録画したに過ぎず、ほとんど見るつもりも無かった。それがふと気まぐれに再生したところ、気付けば私は続きが気になって仕方なくなっていた。

台詞や動作に、漫画原作特有の「無理」がない。これは原作をどこまで残しているのかわからないが、実写でやるのは難しいのでは?という違和感はほとんど感じることがなかった。むしろ、言われなければ漫画原作ということに気が付かないほどドラマ化されている。にも関わらず、作品全体に二次元のような非現実的な美しさが漂い、アニメを見ているような感覚に陥った。

 

まず称賛したいのは、藤ヶ谷太輔の画力だ。このドラマの為に3.5キロ減量したという彼は、頬のラインに全く凹凸がなく、無駄な脂肪が全くついていない。まぶたにすら余計な肉がない。痩せた身体に薄く筋肉がついており、極限まで削ぎ落とされた身体は、さながら漫画のキャラクターだ。彼の人間離れしたスタイルが、少女漫画の男性主人公を完全に再現していた。

そして演技という点では本職ではないはずの彼が、この作品においては頭ひとつ抜けた印象を受ける。注目の実力派俳優窪田くんですら、MARSの漫画的世界観の中においては二番手である。他の俳優陣が実写の演者として演じる中、藤ヶ谷くんだけは「絵」として動いている。彼は漫画の中を生きているのだ。この微妙な演技の違いが、藤ヶ谷くん演じる樫野零を主人公たらしめ、その輝きを際立たせている。

樫野零は、少女漫画でしか有り得ないような仕草、行動、台詞を、いとも簡単にやってのける。そこに不自然さがないのは、彼が漫画世界の住人だからだ。彼は生きているけれど実在しない。樫野零は、藤ヶ谷太輔という命が入った「絵」だ。

そう、MARSは漫画ではなく、そしてテレビドラマでもない。これは「動く絵」による物語だ。しかもアニメではない。人の描いた絵ではなく、生きた生身の人間が絵となって動いている。少女漫画をテレビドラマに変換しながら、藤ヶ谷くんはそのテレビドラマを再び二次元へと落とし込んでいる。だからMARSはひたすらに美しいのだ。

 

もうひとつ、大きな工夫がある。それはドラマ中、終始画面に白枠が付けられていて、まるで画用紙の中で物語が進んでいくような演出になっていることだ。作品全体を「絵」に落とし込むという効果は、制作陣が狙ってやったに違いない。非常にハイセンスだ。見始めた時にはこの白枠の意図が全くわからなかったのだが、2話まで見た時点で、この白枠のお陰でMARSという世界観、二次元と三次元の狭間に迷い込んだ。

脚本や台詞回しのセンス、監督の腕など、ドラマの良し悪しには制作陣の技量も必要不可欠だ。特に漫画原作の実写化となると、新たなテレビドラマという媒体への変換には相当のセンスを要求される。

調べてみたら、脚本の大石哲也氏は「ハガネの女」など多くの作品を手がけたベテランである。脚本の言い回しや構成のスマートさは、これほど深い時間帯のドラマとは思えないほど洗練されている。そして監督には映像作家の耶雲哉治氏、漫画原作作品の映画化を手掛けた映画監督の神徳幸治氏。プロデューサーはいずれもアイドルドラマに多く携わっている方々だ。彼らがアイドル・藤ヶ谷太輔の特性や魅力を理解し、意図的に彼を「絵」に仕立てている。

注目したいのは、監督の耶雲哉治氏だ。彼の肩書は「映像作家」であり、テレビドラマ以外にも、映画監督やCMディレクター、時にはアーティストのMVやグラビアをも手掛けている。MARSの「絵」に対するこだわりは、もしかすると耶雲氏の力によるものなのかもしれない。徹底的に美しい「絵」によって作品を繋いでいく、制作陣の緻密なこだわりがMARSを二次元へと再変換しているのではないだろうか。

漫画作品を実写化することはそれだけで難しい。二次元から三次元への変換には高い技術を求められる。この作品は一度海外で実写化されていることを意識したのかもしれない。三次元への変換・ドラマとしての完成度は当然のハードルであり、その上更に、如何に二次元へと再変換するかを主軸に据えた。この試みは素晴らしい結果を生んだと思う。

 

MARSは絵の中の世界だ。作中で絵を描く少女がヒロインとなっていることも、まるでこのことを予期していたようにすら思う。キラが描いたキャンバスの中の樫野零と、寸分違わぬ藤ヶ谷太輔がそこに生きている。

何度見返しても、どのシーンにも一点の曇りもなく、樫野零は「絵」だ。しかし演じる藤ヶ谷くんは生きた生身の人間で、現に動いて喋っている。生きた人間の説得力を持つ「絵」ほどの魔性がこの世にあるだろうか。

危うさと激しさ、強さと脆さ、そういう生身の人間の持つ鬼気迫る美しさを切り取って魅せることこそ、ある種のアイドル性である。Kis-My-Ft2の「顔」、セクシー担当・藤ヶ谷太輔という命あるアイドル性を手に入れて、樫野零は生きた絵となったのだ。