この愛を欺けるの

応援スタンスや長文考察や好きなものの分析をするところ

長身音痴に惚れた話。

私はチビが好きだった。アイドルを見る際には身長170cm以下を中心にしていて、そうでなくてもなるべく背の低い子が好きだった。

アイドルの最も大きな魅力は「庇護欲を掻き立てる=かわいい」ことだと思う。もともとアイドルとは子どもがやるものであって、成人アイドルが増えた現代にあっても、その面影をより残した者のほうがアイドルとして優れていると考えていた。中居くんに始まり、キンキ、嵐、タキツバは平均身長からして小さい。山田涼介くんの凄いところは、あんなに早くデビューして身長が伸びなかったことだと思っている。

アイドルの王道はチビである。それが真理だと思っていた。

 

歌の上手い子が好きだった。ジャニーズということを抜きにして音楽が好きで、コンサートで「アイドルを見ている」ことを忘れさせるほどの歌声を誇っている人には魅力を感じていた。ジャニーズなのだから顔が美しいわけで、天から二物を与えられた者の絶対的なカリスマ性に惚れ込む気持ちはわからないではない。

坂本くん、堂本剛くん、渋谷くん、赤西くん、手越くんあたりがそうだ。圧倒的な声量とオリジナリティーのある歌声が好きだ。アイドルを音楽にまで高め上げる存在には可能性を感じる。グループに大きなコンテンツを与える「歌の上手さ」は重要な要素だと思っていた。

 

キスマイに最初に出会った時、北山くんという時間を止めたアイドルの存在に目が眩んだ。その頃彼はとっくに成人していて、それどころか20代も後半に差し掛かろうとしていた。にも関わらず、彼の容姿は10代のそれだった。これぞザ・アイドルだと思った。アイドルに求められるのは少年性。北山くんは永遠の少年だった。北山くんのインパクトが強すぎて、まだ後列にいる子にまで目が行かなかった。

その後何度か北山くんを見ているうちに、彼がチャラくてガサツな体育会系だと知った。負けず嫌いの凝り性で、納得しないと次に行けない完璧主義者なのが言動の端々に滲み出ていた。そのせいで遠回りもしていそうな子だった。

私は体育会系のノリがとても苦手だ。アイドルなんてリア充に決まっているのだが、北山くんの「勝たなきゃ生きてる意味がねえ」という感じ(※私見です)は、担当と言うまで好きになることにはブレーキをかけてしまった。でも彼のハスキーな歌声は良いなと思ったし、藤ヶ谷くんとのハーモニーもすごく好きだ。容姿もかわいくて理想的なことに変わりはないので、やっぱりアイドルとしての北山くんは好きだ。けれど、私が北山担になることはなかった。

 

ある時、友人の誘いでキスマイのコンサートに行く機会があった。その頃には後列の子もかなり顔と名前が一致しており、横尾くんと二階堂くんは顔が好みだなと思っていた。動物っぽい顔が好みなので、特に二階堂くんがカワウソにそっくりだというところは非常に魅力を感じていた。歌の上手い藤ヶ谷くん北山くん、顔が好みな横尾くん二階堂くんを中心に見よう…と思って、コンサートに行った。

コンサートの最中で気が付いた。私は横尾渉が好きだと。

彼は公称177cmの高身長で、メンバーの中で最も背の高いほうだ。だからそれまでなんとなく視界に入っていないことが多かった。しかしMCで嬉しそうに破顔しながら話す彼は、私の理想を詰め込んだような顔をしていた。澄ましたような顔なのに口を開くと舌足らずで、身体が大きいのに一番細くて、ローラーでステージを駆け回る姿はまるで少年のようだった。

あんなに身体が大きいのに、少年性を感じるなんてことが有り得るのだと初めて知った。コンサートの後半は横尾くんに釘づけだった。彼を見ていると、胸の奥から「かわいい」が溢れ出してくるのだ。「かわいい」とはアイドル側に存在している事実ではなく、こちら側の一方的な感情だと思い知らされた。だって、北山くんと違って見るからに20代後半の、177cmもあって肩幅も広い大の男が事実として「かわいい」なんてことがあるわけないじゃないか。自分の感情に混乱していた。

 

横尾くんは歌が下手だった。それはもう、アイドルレベルの下手とかそういう次元ではない。そしてダンスが殊更に上手というわけでもない。恐らく彼はかなり年齢が上がってから一気に身長が伸びたタイプなのではないか。自分の手足の長さに筋肉がついて行ってないような動き方だ。

コンサートから帰って冷静になって考えた。横尾渉は音痴で、背が高くて、しかもおよそジャニーズ王道のかわいい顔ではない。何か突出して素晴らしい芸があるかと言うとそうでもない。けれどその時、私はもう取り返しがつかないほど横尾渉に惚れていた。

笑ったり喋ったりするとちらりと見える大きな犬歯。切れ長で視線が鋭いのに、それを忘れさせるほどの笑顔を見せる。流し目の似合いそうな涼しい目に、ジャニーズ1ではないかというほど高い鼻。薄くていつも少しアヒル口になってしまう唇。全部が全部好みだった。番組ではほとんど喋ることがないが、ひとたび口を開けば目尻に皺を寄せて笑う。その皺までかわいいと思った。もう駄目だ。「落ちる」とはこのことだ。こんなに事故的にファンになったのは初めてだ。

 

横尾くんは疲れたり苛立ったりした時には眉間をギュッと寄せて、般若のような顔になる。それがまた彫刻作品のように美しかった。顰めた顔が美しいジャニーズなんて居てたまるか。石から掘り出したような彼の顔に最も似合うのは「怒り」とか「蔑み」だと思った。そんなアイドルが有り得るのか。

そして彼が最も魅力的なのは、その持って生まれた美しい顔を、全く使わないことだ。顰めた顔があんなに綺麗なのに、そうしたキッと鋭い表情なんて雑誌では全然見せてくれない。横尾くんはカメラに向かって顔をキメるのがとても下手だ。それよりオフショットで、見られてると思っていないふとした表情のほうが遥かに美しい。自分の顔がこんなに美しいことに、ここまで無自覚な人間がいるのだろうか。

アイドルは要素で見るものだと思っていた。顔、容姿、歌、ダンス、トーク、表情、パフォーマンス、魅せ方、そうしたアイテムによってアイドルという商品を評価してきた。しかし、横尾渉は違う。そんな加点式では到底測ることの出来ない魅力がそこにあった。ただ彼は美しく生まれたのだ。そして美しいその人が生きているさまを私たちは見る。それが横尾渉とファンのの関係であり、横尾渉というアイドルの在り方だった。

キスマイは、他のアイドルを見ていた時に私の中で使っていた採点シートで評価することができなかった。この採点シートで得点計算したら、絶対に北山くんのほうが遥かに得点が高いはずなのだ。それなのに私は横尾担になった。

 

そもそも私はなぜ、北山くんのファンにならなかったのだろうか。体育会系かどうかなんて、今までジャニーズを見ていて気にしたことなどなかったのに。元運動部のジャニーズはたくさんいるし、横尾くんだって運動部経験者だ。歌もダンスも上手で、少年のような顔だが一番体力があって、一番小さい最年長。本来なら私は北山担になっているはずだった。

藤ヶ谷くんは現在、横尾くんのことを「わた♡」と呼ぶ。彼ら2人の関係について切り込むと非常に字数がかかりそうなのだが、ざっくり言うと女子校の高校生のカップルごっこに似ている。ジャニーズという閉鎖的な世界で、根の生真面目さが祟って上手く発散できず、疑似恋愛の矛先がメンバーに向いてしまったのだろうと思う。だが藤ヶ谷くんは、なぜその相手に横尾くんを選んだのだろう。シンメでフロントの北山くんではなくて。

横尾くんは、藤ヶ谷くん以外のメンバーから「横尾さん」と呼ばれている。これはかなり上の先輩でも“くん”付けで呼ぶジャニーズの中ではとても異例なことだ。10代の子たちが30代の嵐を“くん”付けするのに、同世代、あるいはひとつ年上の北山くんすら「横尾さん」と呼ぶ。「父さん、母さん、横尾さん」であり、あだ名として親しみすら込められている。

横尾くんを追うようになってしばらくすると、横尾くんが確かに「横尾さん」であり、メンバーから頼られ甘えられる存在であることがわかってきた。私は最初、横尾くんを「でくのぼうで可愛い天使」だと思っていたので、かなり驚いた。「人に頼ることはまずない」と言い切るのがとても意外だった。キスマイに頼れる人がいないのだろうか。こんな可愛くて駄目そうな子が、頼る相手がいないのかと思ったら心配でならない。そういう違和感が拭えなかった。

 

ある時、アイドル誌のインタビューで「包容力」についての質問があった。それに対する彼の回答は「包容力って、要は男がどれだけ妥協するかだよね」から始まっていた。雷に打たれたような気がした。なんと身も蓋もない、けれど的を射た発言だろう。

私は彼の解釈を大きく間違っていたことに気が付いた。横尾渉は小さくて可愛い天使ではない。20代後半の背の高い男だ。しかも顔が彫刻のように美しくて、人から頼られ、気遣いも出来る。さぞかしモテるに違いない。横尾渉はモテる。それは女性からだけではない、共演者とはすんなり仲良くなるし、友達が多い・社交的という話は尽きない。人見知りもしない。そんなことに私はしばらく気が付かなかったのである。

横尾くんがメンバーから頼られているのは、横尾くんがモテる人だからだ。現実世界でモテるのは単純に顔がカッコいいとか、学歴が高いとかいう要素だけではない。顔や学歴で勝るものが他に居ても、モテる人というのはいる。そういう、いわば「人間力」みたいなものが、横尾渉にはあるのだ。「包容力=男の妥協」という真理を突いた構図を、さも当たり前のようにサラリと言ってのける、その精神性が彼の最大の魅力なのだ。藤ヶ谷くんが横尾くんを好きなのもそういう理由なのではないか。

 

私は北山くんと横尾くんの組み合わせが好きだ。最年長で熱くてとてもがんばりやさんな北山くんが、一番年の近い横尾くんには甘えることが出来るという構図がとても好きだ。横尾くんと一緒に居てリラックスしている北山くんを見ると、私は本来のチビ好きを思い出す。私はこういうアイドルが好きだったはずだ。横尾くんの隣にいる北山くんは、小さい子どものようで本当にかわいい。

そんな北山くんを甘やかしてくれる横尾くんは、とても頼もしい。背が高くて肩幅が広くて、すべてを許すような穏やかな表情で笑っている。この人は何も出来ない天使ではない。むしろ、嘘や罪を洗い流してくれるような、平らげて笑ってくれるような大らかさを感じる。美しくて優しくて、すべてを受け入れてくれる聖母のようだ。

北山くんをかわいくしてあげられる横尾くん。藤ヶ谷くんの心の拠り所となっている横尾くん。玉森くんに「辛くなったら頼れ」と言う横尾くん。弟組の世話を焼き、いつも人の面倒まで見て、でも実は自分のこともきっちりこなしている横尾くん。横尾渉という人間は、「親」の性質を持って生まれたのかもしれない。

北山くんは普段、熾烈を窮める芸能界、勝ち続けなければ生き残れないとギラギラしているのがわかる。本当はあんなにかわいいのに、あんな風に横尾くんに甘えるのに、いつも一生懸命ギラギラ戦っている。そこがとてもかわいい。やっぱり私は、本当は北山くんのファンだったはずだ。けど、北山くんのそのかわいさは、横尾くんが居て初めて成り立つ。横尾くんがいるから、北山くんは外でギラギラ戦えるのだ。

だから私は横尾くんを好きになったのかもしれない。キスマイのカッコよさ、かわいさ、あらゆるパフォーマンスを担保しているのは、横尾渉という保護者の存在だったのだ。

 

彼の2016年の抱負は「思うこと 周りと自分は 違うんだ」だそうだ。意味はまだわからない。これからわかることがあるかもしれないし、ずっとわからないままかもしれない。「違う」ことに対する悲哀は感じられない。けれどそこに孤独はある。一体何が、誰と違うのだろう。誰かそれを理解してあげられないのだろうか。それでも彼は平気で立っていて、聖母の笑顔でメンバーを包み込んでいる。

横尾渉がキスマイで一番なのは、強さと潔さだと思う。UTAGE!が放送終了するとき、「師匠」というキャラや番組に対して寂しさがあるのかと思ったが、彼はとてもすっきりした良い表情をしていた。そこに未練など一かけらもない。横尾くんはとても成長した。私の大好きだった大きな犬歯は、ある時治療して突然無くなってしまった。本人も大事にしたいと言っていただけにショックだったが、引き換えに、彼の喋りは以前よりずいぶん聞き取りやすくなった。

 

キスマイの精神的な支柱を務める、横尾渉の人間としての器の大きさ。それを一番表すのが彼の身長であり、広い肩幅なのかもしれない。私は初めて背の高いアイドルの魅力を知った。頼もしくて大きな背中をしたアイドルの魅力を。

最近では横尾くんは憑き物が落ちたように綺麗な顔をしていて、やはり個人でレギュラーが決まったことが嬉しいのだと思う。私も自分のことのように嬉しい。どんなに身体が大きくても、番組でワンちゃんと戯れる横尾くんはどうしたって「かわいい」のだ。