この愛を欺けるの

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キスマイはなぜ「曲が良い」のか

ジャニーズのグループに「音楽性」はない。タイアップ曲ならスポンサーの意向で楽曲のテイストが決定するし、一般知名度が上がれば他のアーティストによる提供曲なども歌いこなさなくてはならない。戦略的にイメージとは真逆の楽曲を与えられ、意図してパブリックイメージを壊すこともある。アーティストではないので、「音楽性を保守する」ことが不要だという点が、身動きの取りやすい歌い手としてアイドルが重宝される所以でもあると思う。

各グループに「これぞ!」という楽曲は一応存在するが、それ以外のテイストにも挑戦しなければならないのは、マルチタレントたるジャニーズアイドルの宿命だ。しかし、「彼らの魅力が最も引き出された楽曲」を知っているファンからしてみれば、せっかく音楽作品を世に出しているのに、その楽曲が彼ら魅力を十分に引き出せていないことには歯痒さを覚えてしまう。音楽番組に出演し、CMで流れ、番組で使われるシングル曲こそ、彼らを最も美しく、かっこよく、かわいく見せる楽曲であってほしいと願い、(そんなことは不可能だと理解しながら)そうでない曲など出さないで欲しいすら考えてしまう。

 

私がキスマイを好きな理由のひとつに「曲が良い」ことが挙げられる。もちろん彼らはジャニーズである以上、様々な楽曲を歌いこなしている。全部が全部、ファンの求めるようないわゆる「FIRE BEAT」的な、デビュー前に強く打ち出していたKAT-TUNっぽい」楽曲ばかりではない。これ光GENJI?と思うような歌謡曲チックで懐メロ系の楽曲や、10代じゃないよね?というほどカワイイに特化した楽曲もある。

それでもキスマイのアルバムを聴くと、シングル曲を並べると、コンサートに行くと、毎回思う。キスマイは曲が良い。もちろんテイストは一辺倒ではない。だがそのどれも、「キスマイっぽさ」「キスマイの良さ」をきちんと持っていると感じられる。

そもそも、この「キスマイっぽさ」とは何だろう。キスマイの活動に特に一貫性は感じられない。音楽においても芸能活動においても、「マルチであること」「多面性」のほうを重視しているように思う。彼らの発言からも冒険心の強い印象を受け、こうした姿勢は非常にSMAPっぽい」と思う。だがSMAPのように、完全に変化してしまうという感覚はない。どんなことをしていても、どんな歌を歌っても、やっぱりどこか「キスマイっぽい」。

ローラースケートを与えられている7人組ということは、一番最初に意識したのは光GENJIだろう。言われてみれば全盛期の諸星くんはどことなく北山くんに似てるような気がする。溢れ出る少年っぽいやんちゃさとか。デビュー曲のEverybody Goなんてとても光GENJIっぽい」ポップでファンタジーな雰囲気の楽曲だ。

キスマイのグループとしての経緯は特殊だ。光GENJIをイメージしたグループとして作られ、2006年頃からKAT-TUNの弟分という立ち位置となり、そしてデビュー後にはSMAPの後輩というイメージ戦略に出ることとなる。バックについたり後輩だったからと言って楽曲が影響を受けるとは限らないのだが、キスマイはとても影響を受けている。楽曲で言えば順番に「Everybody Go」「FIRE BEAT」「Kiss&Peace」がそれぞれ「光GENJIっぽさ(歌謡曲)」「KAT-TUNっぽさ(ロック)」「SMAPっぽさ(ポップス)」100%な曲と言える。

これらを楽曲ごとに配分を変えて盛り込むことで、テイストに幅広さが生まれる。配分と組み合わせによって可能性は無限である。キスマイの楽曲はそのどれもがジャニーズ各グループのいいとこどりとなっている。これがひとつ、キスマイ楽曲の特徴と言えるだろう。

 

ところが、この光GENJIっぽさ100%で作られているはずのEverybody Goを、キスマイファンは恐らくカワイイ曲だと思っていない。いや、この曲を知る一般の人もそうではないかと思う。「この時代のチャンピオンさ掴めNo.1!」「Everybody Go!」と歌う彼らが、「テッペン獲るぞ!」というハングリー精神を全面に剥き出して歌うからだ。このポップな楽曲が、彼らの声でたちまちロックな雰囲気に変わるのだ。

キスマイの声は、藤ヶ谷くんと北山くんの声だ。2人を長年リードボーカルとして立ててきた経緯からか、玉森くんや二階堂くん、千賀くんの声も2人とよく溶け合って、途中で混ざってもまったく違和感を覚えない。キスマイの声の核は「藤北」である。

藤ヶ谷くんは透き通るような深みのある声で、千切れるような切なさを持つ。彼は歌い方によってがらりと表情が変わる。強弱、フレーズ感、藤ヶ谷くんの歌の表現は本当に豊かだ。女声キーまで達するほどの高音でも、吠えるように張り上げたり、囁くようなファルセットを響かせたりと振り幅が大きい。かと思えばドスの効いたラップで圧倒したり、バラードでは細い糸のような脆さを感じさせる低音を披露する。歌に表現がある歌手はジャニーズでは貴重だが、中でもここまで表情を変えられる者はそういない。

北山くんの声はザ・ロックという感じで、普段話している時も彼のベビーフェイスからすると意外さを感じる声だ。蠱惑的なセクシーさのあるハスキーボイスで、思い切りドスを効かせてたった一言力強く歌えば、切り裂くようなエネルギーを持って響き渡る。優しく語りかけるようなバラードでは、そのハスキーさが彼の色気を倍増させ、そっと愛でるような歌声に「溺れる」ような感覚を覚える。北山くんの歌声はとにかくセクシャルで、あの童顔でにやりと妖しく笑いながら歌うさまは、禁忌的にカッコいい。

この2人の組み合わせにファンが激増した理由はこの辺りにあると思う。表現の藤ヶ谷、色気の北山とでも言いたい。あるいは切なさの藤ヶ谷、激しさの北山。2人が織り成し補い合って作られた「キスマイの歌声」は、歌としてとても面白く、色っぽい。切なくて激しくて、すべての楽曲を鬼気迫るものにする。これがエモーショナルな「キスマイっぽさ」を作り出しているのではないか。

 

となると楽曲自体は関係ないということになってしまうが、実際そんなことはない。キスマイの楽曲すべてに共通して言えるのは、クオリティの高さだ。エイベックスが優れたレコード会社であることを実感すると同時に、デビュー前の楽曲がシングル曲でもおかしくないほどクオリティが高いことに驚く。こうした恵まれた環境もまた「キスマイっぽさ」を作っていると思う。

まとめると、キスマイ楽曲の「キスマイっぽさ」とは

  1. 楽曲のテイスト:各グループのいいとこどり
  2. 歌:藤北の歌声
  3. エイベックスサウンドのクオリティ

の3つで作られており、この要素が揃っていることで「キスマイっぽさ」が作られているのではないか、という説を提唱したい。

 

余談だが、2015年10月発売の「AAO」は、ナオト・インティライミさん提供のシングル曲である。ナオトさんの楽曲といえばシンセ中心のサウンドにヒップホップ系の旋律。要するにジャニーズの系譜も何もなく、またアーティストによる提供曲のためエイベックスサウンドとも一切関係がない。肝心の藤北ボイスも、シンセの音に合わせて平べったく加工されていた。キスマイがリリースしてきたあらゆる曲の中で、ここまでキスマイらしくない曲は初めてだと思う。

その1か月後に発売された「最後もやっぱり君」はつんくさん提供曲だったが、さすがのアイドルプロデュース実績だった。恐らくつんくさんはキスマイ楽曲をいくつか参考に聞いたのではないかと勘繰ったし、パート割りにしても旋律にしても、藤北の声、キスマイ1人1人の声の特徴をよく理解していると思った。ジャニーズ音楽から乖離してはいないし、楽曲としてのクオリティもまったく落ちる感じが無かった。

提供曲を歌えるというのは推されグループならではのことで、有り難いと思わなければならない。だが楽曲提供されるということは、結成以来10年に渡って守られていたキスマイの音楽性を揺るがすことにもなる。今はシングル1曲に限った話だが、例えばそのうち1曲が大ヒットすれば、そのテイストは以後の活動で確実に尾を引くものとなる。

キスマイが10年間音楽性を守りながら、現在ドームツアーを行うグループにまで上り詰めたのは奇跡に近いことだと思う。2015年のKIS-MY-WORLDは、キスマイという作品がひとつの到達点に至ったような印象を受けた。今後これがどのように新たな音楽性を受容していくのか。コンサートで生歌を披露すればすべて「キスマイっぽさ」のなかに取り込めるのかもしれないし、変貌して全く違うグループになってしまう可能性もあると思う。

その行く末を見守りたいと思いながらも、今はまだ、現在地でのキスマイという作品を堪能していたい。1月20日のKIS-MY-WORLDコンサートDVDブルーレイ発売日を心待ちにしている。