この愛を欺けるの

応援スタンスや長文考察や好きなものの分析をするところ

ゆるヲタ横尾担の応援スタンス

トピック「応援スタンス」についてというのが流行ってるみたいで、面白そうなので書いてみる。まだまだゆるヲタと言い張る横尾担の応援スタンス。

 

担当:横尾渉Kis-My-Ft2

好き:北山宏光藤ヶ谷太輔加藤シゲアキ(NEWS)、中間淳太ジャニーズWEST)、中居正広SMAP

 

▼録画事情 

キスマイと音楽番組。キスマイは全部編集・録画して保存。

音楽番組は見たら消す場合もあるし残すこともある。少クラは保存。他グループは基本テレビは観ない。

 

▼雑誌を買う基準

$誌5冊は定期購読。それ以外に買うのはキスマイのみで、ビジュと内容次第。藤ヶ谷くん・北山くんは個人露出でもビジュが良ければ買う。

自担個人の雑誌露出(連載以外で)はものすごく稀なので、これだけはあれば何も考えずに購入。

 

▼CDを買う基準

キスマイは「欲しいものはすべて買う」スタンス。いらないと思えば買わないし、欲しければ買う。全種欲しければ買うし、個人盤などで別にいいやと思えば買わない。売り上げに貢献したいので、オリコン加盟店舗での購入にこだわる。

NEWS・WESTはアルバム通常版のみ買うことが多い。シングルは基本買わない。

 

▼映像作品を買う基準

一応毎回内容を見て考えてるけど、キスマイは全種買い。特典映像がすごくて買わない選択肢がない。

他グループは面白そうだと割とすぐ買う。Blu-ray通常版買いがち。数年前のコン映像急に買ったりする。

 

▼現場に行く基準

コンサートはキスマイ2~3回、それ以外1回を目安に。NEWS・WESTを主軸に、他にも面白そうなコンサートにはちょこちょこ行く。SMAPは家族が好きなのでチケットが当たれば一緒に行く。

舞台は興味があれば1回。多ステはしない。自担でも2ステが限度。

番協・リリイベなどその他の現場は倍率がすごくて当たらないのであんまり応募もしてない。まあいいやと思ってる。ただ野球大会は自担いるから応募したら当たりました。

 

▼遠征する基準

キスマイコンサートのみ。1コンにつき1遠征程度。東京1回・地方1回の2ステが多い。なるべく低予算で行きたいのでホテル・交通費などで節約している。

 

▼グッズを買う基準

写真系のグッズはパンフレットと自担うちわのみ必ず買う。あとはビジュ次第。ポスターはあまり買わない。

ツアーグッズは実用性がありそうなら買う。だいたいSMAPとNEWSで一番買ってるけど、去年のキスマイのツアーグッズは意外に好き。ノートとか買った。

去年のキスマイベアは追加公演で売ってたので兄組3匹のみ購入。買ってみると日に日に愛おしさが生まれてくるので不思議。

 

▼ジャニショで写真を買う基準

キスマイのみ。ビジュ次第なのでぜんぶくださいは未経験。逆にビジュが良ければ自担以外でも買う。

 

 

ちなみに、自担であるキスマイとその他グループの応援スタンスの違いを表にまとめるとこうなる。

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「自担」という言葉の定義をそこまで深く追求する必要もないと思っているのだが、強いて言うなら、私にとって自担とは

  • テレビまで追いたいか
  • 個人露出まで追いたいか
  • 遠征してでも見たいか
  • 更に写真が欲しいか

が基準となる存在のようだ。

もともとあまり収集癖があるわけではなく、ここまで追いたいと思うこと自体がなかなかないので、キスマイに関しては欲しいものをあまり制限せず買うことにしている。ただ糸目をつけずにすべて買っているわけではなく、欲しいと思わないものは自担でも買わない。

コンサートはこれ以上多ステすると自分の現実を失いそうなので、このあたりが限界かなと思っている。3ステ超えると麻痺しそうなので、最大3ステでやめておくつもり。あと、コンサートよりもCD・映像作品・雑誌のほうが売り上げが重要だと思うので、3ステ以上行くお金があるならCDを買って貢献したい。

他のグループに関してはコンサート中心に考えているので、テレビや雑誌まで追うつもりは今のところない。$誌買うと載ってるのでビジュが良ければファイリングしてるくらい。

だいたい現在の応援スタンスはこんな感じです。

他担さんにご紹介したい、Kis-My-Ft2の「藤北」とはなんなのか?

 藤北とは、Kis-My-Ft2藤ヶ谷太輔くんと北山宏光くんのことを指す。2人はいわゆるシンメである。身近にキスマイファンが居る方なら、一度は「藤北」という単語を聞いたことがあるのではないだろうか?

 キスマイファンの間には、藤北は概念みたいな非言語の世界観があるため、その意味合いについて詳しく説明されることはないと思う。けれどもそれでは他担さんには伝わらない!と思い立って、「藤北ってたまに聞くけど、どこが好きなの?なにがそんなに特別なの?」という疑問を持つ他担さんに向けて、藤北が藤北となった簡単な経緯から、私の藤北に対する理解などを書き記しておきます。(そんな人がいたとして、こんな辺境のブログを見るかどうかはさておき)

 とかなんとか言いつつやっぱり私が藤北論書きたいだけ。解釈違いの方もいらっしゃると思うのですがあくまで私個人の考えです。エピソードについては他で見て頂くとして、ここでは要素での分析を中心にしています。

 

「藤北」をなぜ特別視するのか?―歌割

 キスマイ担が、担当を問わず藤北を特別視している(傾向にある)理由として、藤ヶ谷くん・北山くんがメインボーカルであることが大きい。

 キスマイは「格差」が何かと話題になるグループだが、かの有名なデビュー後衣装格差(いわゆるフロントと後列)が生まれるよりもずっと前から、かなり極端な歌割格差が存在する。デビュー前の楽曲からずっと、AメロBメロのほとんどが、藤ヶ谷くんと北山くんに割り当てられているのだ。

 恐らく年齢と歌唱技術を理由に始まった格差なのだと思うが、「2人メインボーカル+5人が後ろで踊り、サビは一緒に歌う」という形でファンに浸透したため、以降そのままになった。こうして偏った歌割に沿って踊り位置を定めたことで、デビュー前にしてキスマイは前後列が比較的固定されているグループとなる。前列2人・後列5人という「逆光GENJI」とでも言うような体制は、他にない独特の陣形だと思う。

 その後、CDデビューに伴い、テレビでお馴染みの3:4体制(藤ヶ谷くん北山くん玉森くんが前列、千賀くん二階堂くん宮田くん横尾くんが後列)となる。衣装格差もこれに沿っていて、デビュー後の楽曲は踊り位置も3:4体制である。しかしよく見ると、3:4体制の曲も、歌割ではかなりの部分が藤北に集中している。センターに立っている玉森くんにあまり歌割が無いことも多いのだ。

 このように、踊り位置に関わらず、キスマイの楽曲の大部分が藤ヶ谷くん、北山くんの2人で歌われている。「格差」への批判はあるが、藤北メインボーカル制についてはキスマイのファンのほとんどが納得しているのではないかと思う。キスマイは結成して10年以上経つが、そのうち9割方を藤北メインボーカル体制で活動してきているため、キスマイというコンテンツの核となる部分になっている。

 

キスマイの「センター」とは?―踊り位置

 じゃあ、藤北ってキスマイのエースなの?と言われると、そうではない。デビュー後のメディア露出・主演作品で考えると、現在のエースは玉森くんであると思われる。メンバーが言うには、現在、玉森くんが最もファンが多いらしい。(デビュー前は極端に藤ヶ谷くん・北山くんにファンが集中していた。)

 では「藤北」とはなんなのか?これは概念めいていて説明が難しいのだが、私がいま考えつく最も的確な表現は、「藤北は2人のセンター」である。(※ここでの「センター」は踊り位置のことであり、バラエティやトークの場面とは異なる。)

 この一見矛盾する言葉を説明するためには、まず「センター」の語義確定から入らなければならない。通常、下図のように、グループのセンターとは先頭・前列・中心線上の立ち位置を指す。

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 ほとんどのグループにおいて「センター」と言えば、この立ち位置に多く立つ人のこと指すだろう。ところがキスマイの場合、このすべてに当てはまる通常のセンターが不在になる陣形がある。それが上でも述べた、デビュー前のキスマイが多く採用していた2:5体制である。

 踊り位置に関して、2:5(デビュー前)と3:4(デビュー後)のどちらを「本来のキスマイ」とするかは議論のある部分だろうが、私の考えとしては、①近年シングル曲でも2:5体制になる場面が現れたこと、②コンサートがセルフプロデュースになって以降、藤北のペア曲を毎年アルバムに収録していること、の二点から、キスマイ及びレコード会社は現在、藤ヶ谷くん北山くん/玉森くんでは差をつけて取り扱っていると判断。期間の長さから考えても2:5体制のほうが多いため、ここでは本来のキスマイ=2:5体制として話を進める。

 もちろん楽曲によって変化はあるものの、前述の通り、パフォーマンス上においてキスマイの象徴的な陣形は2:5、つまり下図のような形である。(トークやバラエティ、テレビにおいてはお馴染みの3:4体制が多い。あくまでパフォーマンスの上でのもの。)この陣形だと、中心線と最前列の交点に誰もいない

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 ※上の図の後列の立ち位置は曲によって様々な陣形に変化する。

 センター性を「前列であること」と「中心であること」のどちらに比重を置くかはケースバイケースだと思う。キスマイの場合、「歌割が圧倒的に多い」ことを考えると、前列かつ歌割が多い1・2=藤北がセンターと言えるのではないだろうか。

 こうした状況から、キスマイファンにとって「藤北」は、他のグループで言う「センター」に対するのに近い感情があるように思う。しかも2人であることから、「センターにしてシンメである」という、矛盾する事象が共存する。こうした特殊な状況が、キスマイファンが「藤北」を特別視する理由として大きい。

 ジャニオタの使う「シンメ」という言葉を説明するのは難しいが、強いて言うならば、「反対側で同じ位置にいる、この世でただ1人の相手」、というような意味合いが込められている。するとシンメという関係の重要性は、立ち位置が重要あるいは複雑になるほど高いと言えるのではないだろうか?藤北というシンメが面白いのは、彼らがセンター性を持つからだと私は思う。

 「別に藤北ってセンターじゃなくない?」という声もあるかもしれないので補足。デビュー後のキスマイは、少し前までのJUMPの山田涼介くんのような「固定センター」ではなく、例えるならWESTの重岡くんのような「象徴センター」で、実際にセンターに立つ人はフォーメーションによって都度変化する。あくまで象徴的なということです。ちなみにデビュー前は藤北が完全固定センターでした。

 

シンメとしての「藤北」―2人の関係性①パフォーマンスにおいて

 さて、そんなキスマイの最重要パーツを担う「藤北」シンメであるが、ここでひとつ重要なのは、彼らが「不揃いなシンメトリーである」ことだ。シンメの条件として、背格好が近いほうが良いと考える人もいるなか、彼らは挙げればキリがないほど似ていない。

 身長差8センチ(公称。もっと差が大きく見える。)、藤ヶ谷くんはくびれがあるほど華奢な体型で、北山くんは筋肉質で体格のいいタイプ。藤ヶ谷くんはシュッと顎が細く、切れ長で奥目なので一見すると人相が悪いほど眼光が鋭い。いっぽう北山くんは目がくりっとした童顔で、愛嬌がありよく齧歯類に例えられる。一見すると、彼らは真逆だ。

 そんな2人が並んでシンメダンスをするわけだが、これは一見に如かずなので、一度どこかで見てみてほしい。彼らは確かにシンメだ。ひとたび踊ると体格差はあまり感じない。大抵の場合ダンスはかなり揃っている。形以上に、奇妙なほど息がぴったり合っている。藤北のダンスを見ると、彼らは個々を見るのではなくて、2人セットでひとつのパフォーマンスと見るのが正しいのだとさえ思う。

 しかし、ジャニーズの群舞とはまた違う個性も感じる。そもそも身体の大きさが違うので、同じに見えるためには違う動きをしなくてはならない。ダンスにもそれぞれクセがある。それなのに、彼らは「藤北」というひとつのモノだと感じられる。そしてそこにはアイドルと呼ぶには似つかわしくないほどの迫力があるのだ。

 では、2人の歌声はどうだろう?それぞれに聴くと、藤ヶ谷くんはよく響く透明感の高い歌声で、北山くんはハスキーで色気のある歌声。これも2人でかなり違う声に思える。しかし2人一緒に歌うと、溶け合ってひとつの音楽になる。恐らくアタック・リリースの処理や発音の仕方が似ているのだと思うが、音域によっては、2人の声がほとんど聞き分けられない時がある。

 こうした藤北の「似てないようで似てる、似てるようで似てない」部分については、本人たちも「似てないところが多いほうがいいかな」と発言している。彼らを見ていると漫画のキャラクターのように、誰かが人為的に、敢えて真逆に、そしてそっくりに誂えたみたいだと思う。

 ちなみに藤ヶ谷くんは昔、今ほど歌が上手くなかった。北山くんは以前、今よりも音域が高かった。高校生くらいの藤ヶ谷くんは三枚目キャラだったのが、当時圧倒的センターだった北山くんが今はその役割でバラエティに出演している。こうした経緯・変遷を経て尚、彼らは少なくとも、現在遡ることが出来るいつの時点を切り取っても、絶対に似ていなくて、とても似ている。

 どういうカラクリでそのように作っているのかとあれこれ考察したのだが、最近になって2人はプリキュアという結論に達した。2人はプリキュアなので、彼らは大きく意識せずとも比較的自然に、釣り合いが取れる。そして彼らは本質的に、プリキュアという同じひとつのモノなのだ。(わかりやすくプリキュアに例えましたが、よりわかんねーよと思った方はプリキュア→藤北に置き換えてお読みください。)

 

メンバーとしての「藤北」―2人の関係性②人間関係

 解釈の余地・余白が多すぎるため、2人の関係はハッキリ言えば「よくわからない」と言うのが正しい。自由解釈によってあらゆる見方が出来るので、不仲説からBL説まで出てしまうのだが、実際他のどのグループ、どのシンメにもない奇妙な関係だと思う。

 シンメとしては、向かい合うのではなく「背中合わせ」タイプである。お互いに決して目を合わせようとしない。少なくともカメラのあるところでは言葉を交わさず、互いの言動に対してコメントすることすら少ない。キスマイではオフの日にメンバー同士で遊ぶという話はとても多いが、藤北だけは互いのプライベートは一切知らないと公言している。そのため個人的なエピソードはとても少ない。

 だが前述の通り「2人のセンター」として、同じ重圧や責任を背負って戦ってきた経緯は確かであると思う。2人とも結構強そうな顔をしているが、精神的には案外脆い部分もあるため、どこかで心理的に支え合ってきた部分があるのだろうし、言葉を交わさずとも、暗黙のうちに通じる信頼があるのだと思う。

 不思議なのは、2人がファンやカメラの前で話したり、関わらなければならない場面になると「そわそわ」することだ。2人で話したりしているところを人に見られるのが照れるらしい。いや、人目に対して照れているのか、お互いに照れてるのかは判断がつかない。静かにボソボソと会話を交わしては、居心地悪そうに(でも満更でもなさそうに)している。

 一方で「氷河期」と呼ばれる、藤北が互いの言動に一切の興味関心を示さず、相手に不満を持っている(ように見える)時期が、現在までに2度ほどある。これがなんだったのか私にも未だにわからないが、2016年現在、2人の関係はかなり柔和したようだ。何か特に衝突や解決があったようには思えないのだが、北山くんの30歳の誕生日を藤ヶ谷くんがコンサートにて祝ったことが雪解けの大きなきっかけだったのかもしれない。そうだとすれば、そんなことでいいのか。なにか不満はないのか。よくわからない。

 ところで、最近友人から、三代目J Soul Brothersツインボーカルの2人でも同様の現象(そわそわ・氷河期)が確認されるという情報を聞いた。もしかしたらツインボーカルあるあるなのかもしれない

 氷河期のさなかでも、よく観察すると、藤ヶ谷くんは北山くんをよく見ているし、北山くんは藤ヶ谷くんをよく見ている。そして視線に気付いた相手がそちらを見ると、必ず目が合わないように目を逸らすのである。これが一体なんなのか、真相は2人のみが知る。

 このシンメの微妙な関係に、ファンがあれこれ想像を膨らませるのである。藤ヶ谷くんいわく「2人とも計算高い」らしいので、まんまと踊らされているわけだ。

 ちなみに私は、2人はプリキュアなので、わざわざ相手と仲良くなったり、日常会話したりする必要はなく、彼らは最初からシンメとして誂えられているのだと考えている。彼らは本質的には同じひとつのモノなんだろう。たぶん。

 

結論

 藤北とはキスマイの歌声である。センターにしてシンメである。2人はプリキュアである。

 

おまけ・横尾担から見る藤北

 藤ヶ谷くんと北山くんは画面上ほとんど関わりませんが、横尾くんというフィルターを通すと、2人ともしょっちゅう寄ってきます。藤ヶ谷くんは「わた♡」と女子高生みたいな顔して駆け寄ってくるし、北山くんは「よこーさーん!」とその童顔で甘えに来ます。どっちもかわいい。藤北やってる時とはえらいキャラ違うじゃねーかとなります。

 横尾さんは2人を甘やかしたり遊んだり比較的平等に扱っているようで、どちらが来ても嬉しそうです。ただし横尾さんは「藤北」を特別視しています。時折嫉妬するようなそぶりも見せますが、基本的には割って入れない関係と思っているようです。

 横尾さんには昔やさぐれていた時代があり、「あの頃の横尾渉を好きな人は誰もいなかった(藤ヶ谷くん談)」らしいのですが、いっぽうで「昔横尾さんと一緒によく遊んでた(北山くん談)」といいます。このあたりちょっと不思議ですね。

 藤ヶ谷くんと北山くんは片方が横尾さんの近くにいると決して寄って行きません。横尾さんに呼ばれれば近寄りますが、その際にも藤ヶ谷くんと北山くんは目を合わせず、2人とも横尾さんに向かって笑いかけます。そうですここは奇妙で歪んだ三角関係なんですなんという沼!!!!

 

 藤北の関係もパフォーマンスもマジでおいしいので、もしこれを見てちょっとでも興味の沸いた方がいらっしゃいましたらぜひなにか映像を見てみて欲しい。テレビでは伝わらない藤北を中心に書いたつもりです。とりあえず「藤北」で検索したらいろいろ出てくると思います皆さん藤北をどうぞよろしくお願いいたします!!!!

気に入らないなら口に出すな――SNSでアイドルをdisるリスクについて

少クラでJr.のパフォーマンスを見ている時、「ああ、これは本家を超えたな~」と思う時もあれば、「やっぱりデビュー組に比べると…」と思う時もある。違うグループのコンサートのDVDを立て続けに観て、「これの後にこれだとちょっと見劣りする…」と思ったりする。同じジャニーズという畑にこれだけたくさんアイドルが居れば当然なのだが、私たちは時に「○○において、△△よりも××が優れている」という感想を持つ。

誰だって自担グループのどこかの点を最も優れているから好きになっているのだから、優劣があるのは当たり前のことだ。内心では嫌いな人だっているだろう。だが、この感想をSNSに書き込むことには大きなリスクがある。アイドルに対して何らかの評価をするSNSアカウントは、多くの場合「自分が誰のファンであるか」を明記しているからだ。

 

「○○より××が優れている」「××が嫌い」「××は劣っている」という書き込みを見るのは誰だろうか?おそらくアイドル本人や運営する事務所、スタッフより、圧倒的○○や××のファンである人が見ることのほうが多いだろう。

時に「批判の集合によって、アイドル側が改善することがある」「厳しく育てるべき」という意見をする方がいる。また自らネットを見ると公言するアイドルもいる。だが、ネット上の批判によってアイドル側に改善が見られるというケースは極々稀だろう。例え彼らがその発言に触れても、数十万人を相手に商売する彼らにとって、たった千人程度の意見など無視出来る範疇だからだ。

また、「○○や××のファンではなく、ジャニーズやアイドルのファンではない一般人」もこの書き込みを見ることは物理的には可能だが、おそらくそうした一般人の目に触れることも少ないだろう。彼らは○○にも××にもさしたる興味はないので、検索もしないしそうした書き込みをリツイート等の機能で見るようなコミュニティにも属していないことが多い。

こうして考えると、この「○○」よりも「××」が「優れている」とする発言=「××」を「○○」よりも「劣っている」とする発言を見るのは、ほとんどの場合がここに名前の出されている「○○」と「××」のファン、あるいはそのどちらかが所属するグループのファン、あるいは○○か××のファンのいるコミュニティに属しているジャニーズの誰かのファンである、ということになる。

 

この書き込みで「優れている」とされる○○のファンのほうは、こうした書き込みに共感したり、好感を持ったりするのかもしれない。だが、裏を返せば「劣っている」とされた××のファンはどう思うだろうか?

例えばその書き込みをしているアカウントが「○○のファンである」と書かれていた場合、書き込みを見た××のファンは、例えその書き込みがたった1件でも「○○のファンは、私が好きな××は嫌いなんだ」と感じる。しかし一方で、どんなに論理的に××が劣っていて○○が優れているかを語られたところで、その人は××を嫌いにはならないし、ファンをやめることはないだろう。誰のファンになるかは個人の選好であり、他人の価値観に左右されることはないからだ。

××のファンを辞めることはないその人に残るのは、「○○のファンとは好みが合わない」「○○のファンは××が嫌い」というイメージ、あるいは「○○のファンと話すのは不快だ」という偏見すら持つかもしれない。だがここまではまだ、あくまでファンという単なる一般人に対する偏見や悪感情なので、さほどのリスクではない。

 

では、「自分が好きな××を批判する○○ファン」に立て続けに何度も遭遇した場合、××ファンはどう感じるだろう?

××ファンも、ジャニーズのとあるグループのとあるアイドルが好きな「ジャニーズファン」である。ということは、ジャニーズのパフォーマンスに何らかの魅力を見出している。「担降り」という言葉に表されるように、一度ジャニーズの誰かを好きになった人は、好きな人が変わってもジャニーズのファンで居続けることが多い

また「担降り」しないまでも、今××のファンであるということは、別のアイドルに××と共通項や似た部分を見つけた時、そのアイドルのファンにもなる可能性も持っているのだ。ジャニーズという同じ畑にいるアイドルを追う方法は、一度ジャニーズを好きになった人ならばよく知っている。他担でも興味が出てDVDを1枚買ってみることは、誰にでも有り得ることだ。

このように、今既にジャニーズの誰かのファンである人は、あらゆるグループにとって「将来の顧客」となる可能性を持っている

だが、××ファンがほんの少し○○に興味を持つことがあったとしても、「××を批判・劣っていると発言する○○ファン」を何人も見ていたら、まずDVDを買ってみるだろうか?私なら、誰かのファンに立て続けに自担を貶されたら、そのグループにはお金を落としたくないな…という気持ちになってしまう

 

「××のファンなんか少ないし!」と思うかもしれないが、同じことが××ファン以外にも言える。ジャニーズの誰かのファンで、××に対して特に何とも思っていない、あるいはある程度パフォーマンスや顔、キャラクターを気に入っている人がどこにいるかわからない。そういう人が「××を劣っているとする○○ファン」を見たら、「○○ファンは配慮がないなあ…」と感じるのではないだろうか?

そういう経験が重なっていくと、徐々に「○○ファンは荒れている」、あるいは「○○はあまり好きじゃない」というイメージ・悪感情にまで発展する可能性があるのだ。ジャニーズのファン全員が、アイドルにとって未来の顧客となる可能性があることを考えれば、これも結局は、「○○ファンが、回り回って○○の足を引っ張る」という構図になってしまうのだ。

 

なぜ「××は劣っている」発言をするのか?

その人が「××」を「劣っている」と「SNS上で発言する」のには、以下のパターンがあるのではないだろうか。

  1. ××ファン「ではなく」、自分が好きな○○とはタイプが違うため、魅力が理解できない。しかし××が誰かに評価されている、または売れているため、××の魅力がわからない自分を他者に肯定してほしい
  2. ××ファン「ではない」人で、自分が好きな○○の中に一部嫌いな部分がある。その嫌いな部分が××と共通しているため、○○に対する不満の延長として××を批判している
  3. ××ファン「だった」ことがあり、一部がどうしても嫌い・許せない・不満があったため担降りした人が、自分が××ファンとして費やした時間やお金を悔やんで、××を批判せずにはいられない。または、過去に自分が××に費やした時間やお金が自分の責任ではないと他者に認められたい

私が今考え付くパターンは以上だ。SNS上にいる様々な人を見ていると、どうやらこうした感情によって「××批判」を行っている人が多いように思う。これらすべて、××にしろ○○にしろ「何かしらに対する愛情に基づいて」いるところも性質が悪い。

しかしこうした自分個人の感情よりも、優先すべきことがあるはずだ。それは「ネット上で他者を不快にさせないよう最低限の配慮をする」という人として当たり前のことと、「自分が好きな○○に迷惑をかけない」ことではないだろうか。

 

じゃあ、気に入らないアイドルが居たらどうしたらいいの?

TwitterというSNSが登場してから、一般人がネットで発言することのハードルが一気に下がった。この記事もほとんどTwitterでの発言を前提に書いているふしがある。Twitterは個人の場所であり、何を言ってもいい」と認識している人も多いのではないかと思う

だが、Twitterも全世界に繋がったインターネット上だ。確かに言論の自由があるので、何を言っても、法に触れない限り逮捕されることはないし、国から発言の削除を強要されることもない。だが、特定の個人を不快にさせたり、誰かの業務・商売を妨害することはいくらでも有り得る。*1

その中で考えたときに、果たして「××は劣っている」という発言は、ネットという不特定多数に向けられた公共の場所で言うにふさわしいものだろうか。それを見た他者の反応を冷静に考えた時、もちろん一部には共感もあるかもしれないし、自分の目に触れる範囲には同意しか見えないかもしれない。だがその裏に、もっと多くの目に見えない反発や悪感情があり、それが自分の好きなアイドルの業務妨害に繋がるとしたら?それほどのリスクを持ってまでそんな発言をしなければならないのだろうか。

良いと思ったこと、優れていると思うもののことしか言わなければいいのではないだろうか?わざわざ、劣っていたり嫌いなものについて、それが劣っていると公言しなければいけないのだろうか?

 

冷静に考えれば「××は劣っている」「××が嫌い」「××より○○のほうが良い」と発言することには、大したメリットも利益もなくリスクばかりがある。それなのに実際には多くの人たちがこうした発言をSNS上で書き込み、多くのトラブルが起きている。

私と同じアイドルを好きな人たちには絶対にそうした「他担disり」発言をしてほしくない。自分自身の品性を落としたり、批判された誰かのファンがどう思おうが構わないという人もいるかもしれないが、自分の好きなアイドルの足を引っ張るなんてあまりにも馬鹿馬鹿しい。そういうことは現実の友達に聞いてもらうか、鍵をかけて他人に見られないアカウントで吐き出せばいいのだ。

あなたがもし誰かのファンであることを公言しているなら、ぜひネット上での振る舞いに気を付けてほしい。これほどインターネットが発達し誰もが情報の発信者となることが出来るようになった時代において、あなたのネット上での振る舞いは、あなたが好きなアイドルのイメージと直結することがあるのだから。

 

なぜこんな記事を書いたかと言うと、自担を批判するファンが多すぎて、嫌いになったアイドルがいるからです。こんなくだらない理由で売上を落としたり、ファンになるかもしれなかった人を失うなんてあまりにも馬鹿馬鹿しい。ファンの言うことなんか気にするなと言われても、他担にはその不快感を我慢してまでそのアイドルを好きになる努力をする義務もありません。自担を認めさせたいなら尚更、他担批判は控えましょう。

*1:極端な話、自分の発言によって誰かに損害が発生すれば、賠償を求める訴訟を起こされる責任も含めて「自由」だ。決して「自由=何を言っても誰にも文句を言われないことを保証するもの」というわけではないのである。

Kis-My-Ft2 Concert Tour2016発表に際して・キスマイコンについて考える

2016年のコンサート日程が発表された。7月~8月という夏休み期間、4都市11公演のドームツアーだ。真夏の土日をフルに割り当てられたなんとも好待遇な日程である。これだけ早い時期の公演なら追加公演や年内の映像化も有り得るし、あるいは舞祭組のアルバム・ツアー等のイベントが秋以降にある可能性も期待できる。

去年までキスマイは料金先払いだったのだが、今年からメール申込み・後払い・メールで当落確認となった。先払い制には転売防止の意味もあったと思うのだが、それを捨てても後払い制に移行するのには、最大限倍率を上げて潜在的な動員可能数を測りたい意図があるのではないだろうか。ひいては近い将来の札幌ドーム公演を狙っているようにも思える。

またこちらとしては、当落発表がメール配信になったのは非常に有り難い。発表期間に入っているのに、回線パンクで一週間以上当落の確認ができないのが常だった。

 

以前、私はこういう記事を書いた。

ayayaya-kis.hatenablog.com

この記事を書いた当時、私はキスマイをまだ「ジャニーズ」の枠組みの中で考えていた。しかし「2015KIS-MY-WORLD」DVDが発売されて繰り返し見るうちに、その考えが少しずつ変わってきた。

キスマイのコンサートは、2014年からセルフプロデュースとなった。それ以前とそれ以後では、明らかに構成センスが変わった。2014年のKis-My-Journeyには「Kis-My-Landのブラッシュアップ版」という趣旨もあったためわかりにくかったが、この2015年KIS-MY-WORLDを見て、はっきりと、従来のエイベックス主導のコンサートとは趣向を変えていることが見て取れた。

2014年以降、キスマイのコンサートは急速に「脱ジャニーズ化」しているのかもしれない。

 

ジャニーズのコンサートにおいて、フライングや照明・特効・舞台装置は、演出の重要な部分として位置付けられている。そしてそれは派手で豪華であればあるほどよく、豪勢な演出を使いこなすグループほどよりアイドル性が高いとされる。東京ドーム以上の広い会場では、大掛かりな演出によってその広さを埋めることが良いコンサートとされてきた。

2014年以降、キスマイのコンサートはどうだろうか?以前は大型LEDパネルや巨大な船のセットなど、大がかりな舞台装置も使用していたが、2014・2015年のコンサートではそうした巨大な装置は消えていた。凝った照明演出もあまり登場しない。特効は使いどころを1曲に限定して、そこで乱発するという演出になっていた。

これは確かに、従来のジャニーズに多い豪華絢爛な演出のコンサートに慣れた人たちにとっては物足りないのだろう。もっと壮大な演出効果を駆使して、それを背負ってなお輝くことこそがアイドル性だと考える人にしてみれば、「背負うものが足りない」と感じるのもやむを得ないかもしれない。

 

では、キスマイはなぜこうした簡素な演出に切り替えたのだろうか?ジャニーズのコンサートに慣れた人にとっては物足りないはずの簡素な演出でコンサートを行うことには、一体どういう狙いがあるのだろうか。

正確な数を調べることはできないが、キスマイのファンには以前から他のグループのファンだった人と同じかそれ以上に、キスマイで初めてジャニーズを知った人が多く存在する。その人たちにとっては他のジャニーズのコンサートは未知のもの、あるいは別の世界のものであり、キスマイのコンサートがそれらと比べてどうではるかは恐らく何の関係もない。

キスマイのコンサートには一定数の男性客が来ている。私の肌感覚でしかないが、ジャニーズのグループとしては男性客の割合がとても多いほうであると思う。また、ちょうど2014年頃から、小さい子どもや夫を連れた家族連れ、SMAPとの共演によって流入したと思しき中年層の女性、連れ立って来る中学生くらいの男女の集団と、客層が多様化したように感じた。これほど雑多に多様な客層を抱えたコンサートは若手ではまずないし、嵐以下のグループで考えてもキスマイくらいではないかと思う。

客層の多様化はつまり、いわゆるジャニオタの割合が相対的に減っていることを意味する。以前に書いたこちらの記事でも触れたが、キスマイにはただでさえ「事務所担」と呼ばれるジャニーズフリークのファンが少ないように思う。

ayayaya-kis.hatenablog.com

多様化したキスマイのファンたち――ジャニオタではない、ジャニーズの文化やセオリーを知らないファンたちにとって、「コンサート」として知っているのは一般のアーティストのコンサートになる。そういう人たちにとって、現在のキスマイのコンサートはジャニーズらしくないからこそ、ジャニーズを知らない人にも馴染みやすいものなのではないだろうか。それが更にコンサート客層の多様化を促し、一般層への敷居を下げる効果を持っているのではないだろうか。

 

私はこの1月、Superflyのコンサートを聴きに行った。友人に誘われて初めて行ったのだが、パワフルな歌声を存分に楽しめて、またアーティストのコンサートにしては視覚的な演出にも凝っていたように思った。ステージの移動、照明色の変化、落下物もあったし、衣装の変化も素敵だった。その際に一番強く感じたのは、アーティストであるSuperflyのコンサートを、キスマイのコンサートと同じように見ることが出来たということだ。

キスマイのコンサートを見るとき、豪華絢爛な演出がなくとも、彼らの歌声に耳を澄まして、藤ヶ谷くんと北山くんのハーモニーを楽しむことができる。白い照明に自担である横尾くんが照らし出される光景は、息を飲むほど美しい。セットリストに好きな楽曲があれば嬉しくなり、彼らの力強いダンスに目を奪われる。息つく間もなく次々に披露される楽曲たちを、思う存分楽しんでいる。それはまるでアーティストのコンサートを見るように。

おそらく、ジャニーズを初めて見るファンにも、キスマイのコンサートはほぼ違和感なく受け入れられるのではないかと思う。強いて言えば、観客の参加するC&Rだけは、何の説明もなく慣習によって行われるため、初見のファンには何が起こったのかわからないかもしれない。だがこれも、コンサートの度にメンバーの誰かが曲の前半でレスポンスを自ら言い、新たなファンにも浸透させようとしているように思う。

2014年以降に一般層のファンが増加したことは、舞祭組での活動の結果でもあると思う。後列の人気獲得にあたっては、新たな一般層を取り込むという方法を選んだ結果が舞祭組というユニット活動なのだろう。2014年からドームツアーを敢行できたことも、そうした狙いの成果であると言える。そう考えれば、2014年のコンサートから、一般層を主な客層に据えた構成にシフトするのは自然な流れなのかもしれない。

こうした「コンサートの脱ジャニーズ化」が、セルフプロデュースになったことに伴って起こったのか、客層の変化に伴う戦略なのかはわからない。だが結果としてこうした変更を行ったことは、戦略として非常に有効であると思う。「ジャニーズのコンサートって、特殊でしょ?」と偏見を持つ人にも、キスマイのコンサートは行きやすい。非常におすすめできる。

 

「キスマイのコンサートがつまらない」という人が居る。ジャニーズなのだから、ジャニーズらしいコンサートをしてほしいのかもしれない。デビュー前の楽曲を求めているのかもしれない。もっと鬼気迫る追い込まれたパフォーマンスが見たいのかもしれない。「どの席から見ても同じように楽しめるコンサート」という観点から構成してほしいという人もいるらしい。

現段階で考えれば、残念ながら、そういった人はキスマイとセンスが合わないので、観るのをやめたほうがいいとしか言えない。現状を受け入れられないのであれば、いつまでも無いものを求めていても仕方ないと思う。コンサートにおいて何を重視するかは人によって違うのだから、そのセンスの合うグループだけを追ったほうがいい。それが普通だ。

…でも私は、キスマイに限っては、更に大きなどんでん返しがあるような気がしてならない。このまま「脱ジャニーズ化」が進んでいくなんて、そんな順当な予想ではまったく足りない。

 

今年のコンサートは何かが違う。

なぜ、先にツアー日程を発表するのだろう?なぜ夏休みの土日を割り当てたのだろう?なぜ急に後払いに変更するのだろう?シングル曲に今さらグループ名が入っている意図は?

デビュー5周年。彼らは一体何を仕掛けてくるのだろう。それがどんな意味を持って、どんな結果を生むのだろう。

良くも悪くも、彼らは普通じゃない。共感できない話や部分もたくさんあるし、常軌を逸していると感じることさえある。完全には感情移入出来なかったり、状況が掴めないこともある。私は彼らを初めて見たとき、このグループはまったく売れないだろうと思った。それが予想を大きく裏切って、彼らはドームツアーを行うグループにまでなった。

次々に想定外のことが起きるリアルタイム・ドキュメントの面白さ、それがキスマイだと思う。彼らについて予測を立ててもほとんど意味を成さない。裏をかかれたように悔しくなったり、清々しく裏切られてスカッとしたりする。

 

はっきり言えば、キスマイを面白いと思わないなら見なければいいと思う。わざわざ見て不満を言う感情はまったく理解できないし、ファンからすると、そういう人を見ることはとても不愉快だ。普通に考えれば、そういう人のことは切り捨てるしかないだろう。

けどキスマイだからこそ、そうではない結論があるのかもしれないと思えてくる。

こんなに目が離せなくて、次が気になって仕方ないアイドルは初めてだ。誰だって自担に一番興味があるけれど、私はやっぱりキスマイが一番面白いアイドルで、観測し甲斐があると思う。こんな大層な予想をしたのに、全然なんでもなくて思い切り肩透かしを食らうかもしれない。普通の感性でなんかまったく予想出来ないのだから。

今年のコンサートは、どうしても初日が見たい。その裏切りも感動も、生でリアルタイムに体感したい。彼らが提供してくる意外性だらけのドキュメンタリー、その暴力的なエンターテインメントに頭まで浸かりたいのだ。

とりあえずは、アルバムが本当に発売されるのか、または何らかの趣向を変えたツアーとなるのか、「脱ジャニーズ化」が続くのかどうか、というあたりが気になる。あと、野球大会のスペシャルゲストに誰が来るのか。横尾くんがわざわざラジオで知らないと言うあたり怪しいのである。

田口淳之介というアイドル

トピック「田口淳之介」について

Xデーである3月31日、田口くんの最後のブログを読み、「同じ空の下にいるよ」というなんとも優しい、しかし確かな別離を意味する悲しいメッセージを受け取った。アイドルを辞めていく者として、これ以上のコメントがあるだろうかと感動さえした。

 

4月1日になった。田口淳之介の名前はジャニーズWEBから削除され、KAT-TUNは本当に3人になった。

その日、とあるトレーニングジムのTwitterアカウントで、田口くんの写真が公開された。そこには、最後の姿となったMステ生放送で見せた姿とほとんどなにも変わりない田口くんが、今までよりずいぶん小さなカメラに向かって微笑んでいた。

けれど、その写真の田口くんの笑顔には少し違和感を覚えた。

今まで見てきた、特に脱退を発表してから私たちに見せていた表情とは少し、違う気がする。それもそうだ。これは雑誌やテレビじゃない。誰かにお金を貰って撮られているわけではないのだから、そんなに完璧に笑う必要なんかない。作り込みのない、とても自然な、ある意味で未完成な、私たちとなにも変わらないただの人になった田口淳之介の笑顔だった。

 

今まで、「アイドル田口淳之介」が見せてきた笑顔の何と完璧だったことか。

この写真はそうではない。プライベートでも交流があるのだという撮影者との、非常に自然な、わざとらしくない普通の微笑みだ。(田口くんが今後芸能活動を行うか否かはまだわからないが、)少なくともこの写真で、彼は芸能人として笑う必要がない。

「アイドルを終えた田口くん」を見て、いっそう「アイドル田口淳之介」への尊敬を深めるよりほかにない。彼のトレードマークの笑顔は、やっぱりちゃんとプロ意識や仕事への意欲から創られた商品だったのだ。私はそういうアイドルの商品性こそが素晴らしいと思うし、そうした素晴らしい商品を生産できるアイドルを人間として本当に尊敬する。

ある意味で、彼はアイドルを辞めることで、自らのアイドル性を証明することとなった。それこそが田口くんがいかにアイドルという職業を完璧に全うしていたかを物語っていると思う。「アイドルという職業を重荷に感じる」なんて、実際にはそんな生半可なものではなかっただろう。

彼は最後の一瞬までアイドルを走りきった。

 

田口くん、本当にお疲れさまでした。

あなたのこと、あなたがKAT-TUNだったこと、絶対に忘れません。

ジャニーズの「赤い曲」集めてみた

曲調や衣装、パフォーマンス、歌詞、楽曲から「赤」を感じる曲を、私は「赤い曲」と呼んでいる。ロックでカッコよくて、しかもダークなだけではなく「赤」を想起させるセクシーさのある楽曲。ジャニーズの各グループにはそれぞれの特徴を持った赤い曲が存在する。今回はそんな各グループの赤い曲を挙げてみたい。

ただしあまり楽曲を知らないので取り上げられないグループや、まだ楽曲が少なかったり、赤い曲があまりないグループもあるため、全グループは挙げられていません。

 

KAT-TUN

言わずもがな、赤い曲を最も得意とするグループである。KAT-TUNらしい曲には黒い曲と赤い曲があって、黒い曲が本領であると思うが、赤のほうがより攻めてる感じがする。意外とシングル曲に多い。

  • LIPS(シングル「LIPS」)
  • Don't you ever stop(シングル「Don't you ever stop」)
  • T∀BOO(アルバム「KAT-TUN III -QUEEN OF PIRATES-」)
  • MOON(アルバム「Break the Records -by you & for you-」)
  • Sadistic Love(アルバム「Break the Records -by you & for you-」)
  • GIMME LUV(アルバム「楔-kusabi-」)

上2曲はろくーんシングル。特にLIPSは赤い。そもそもサビが「赤く染まる唇」である。MOONは和風ロック。そしてGIMME LUVを聴いた時は4人での赤い曲が出て本当に嬉しかった。

 

NEWS

NEWSは白のイメージが強いと思うが、特に4人になってからは別の色も積極的に表現している。また、以前の楽曲でも4人で歌うと赤くなる曲がある。

  • Liar(シングル「SUMMER TIME」)
  • 愛のマタドール(アルバム「pacific」)
  • 太陽のナミダ(シングル「太陽のナミダ」)
  • ベサメ・ムーチョ~狂おしいボレロ~(アルバム「NEWS」
  • SHOCK ME 2013(DVD「NEWS 10th Anniversary in Tokyo Dome」)
  • 紅い花(シングル「星をめざして」)

SHOCK MEはもともと好きな楽曲だったが、4人での新たなアレンジはより赤い曲になった。NEWSの赤い曲はスペイン風の曲が多い。紅い花は完全に4人のコンサートで再登場して惚れた曲。手越くんの圧倒的歌唱力があれほど活きるとは。

 

山下智久

もともとNEWSの赤い曲にスペイン風が多いのも、山Pの影響ではないかと思う。意外に赤い曲は少ないのだが、非常に特徴がある。

指輪はNEWSでのソロ曲。ベストアルバムに入れてほしかった…。戻れないからはバラードだがとても赤い感じがする。NEXT ACTION入れたのは別に贔屓目ではないつもり。超良い曲。

 

Kis-My-Ft2

デビュー前の楽曲はロックなイメージがあるが、黒い曲のほうが多い。代表曲が赤いので赤いイメージは強いが、実際には意外と赤い曲は少ない。

  • FIRE BEAT(アルバム「Kis-My-1st」)
  • 海賊(アルバム「Kis-My-1st」)
  • Take Over(アルバム「Kis-My-1st」)
  • Eternal mind(DVD「YOSHIO」)
  • FIRE!!(藤ヶ谷太輔北山宏光/アルバム「Kis-My-Journey」)
  • My Resistance-タシカナモノ-(シングル「My Resistance-タシカナモノ-」)

キスマイといえばFIRE BEAT。これが赤い曲ど真ん中だ。海賊は変化球で、私の中ではFOLLOWなんかと同じ「朝焼け曲」との間くらい。デビュー後も時折思い出したように赤い曲がある。My Resistanceは変化球で、真っ赤ではないけど差し色赤が入る印象があったので、コンサートでの歌詞が赤く表示される演出には眩暈がした。わかりすぎててつらい。

 

タッキー&翼

タキツバの楽曲にはかなり特徴があるが、「赤」との親和性はかなり高い。そのため赤系の曲は多いのだが、例えばKAT-TUNの赤とは雰囲気が違い、タキツバらしい高級感がある。そのため光沢のある赤なのか、他の色なのか分類が難しい。

  • カミラ◆タマラ(アルバム「タキツバベスト」)
  • ×~ダメ~(シングル「×~ダメ~」)
  • 小悪魔ジュリエット(アルバム「TEN」)
  • ペンデュラム・ラヴ(アルバム「TRIP&TREASURE TWO」)

カミラ◆タマラなんかはど真ん中だ。ペンデュラム・ラヴはチャラン・ポ・ランタンが楽興提供しているのだが、彼女たちの曲は全体的に赤めが多い。

 

Hey!Say!JUMP

JUMPは白い・かわいいイメージが強いだけに、赤い曲が少ない。これらの曲今のJr.にもぜひ歌ってほしい、数少ないJUMPの赤い曲だ。JUMPのファンの中でこうした赤い曲はどういう位置付けなのかぜひ聞いてみたい。

  • 真夜中のシャドーボーイ(シングル「真夜中のシャドーボーイ」)
  • Time(アルバム「JUMP No.1」)
  • Yes!(山田涼介・八乙女光・髙木雄也/アルバム「smart」)
  • 瞳のスクリーン(シングル「瞳のスクリーン」)
  • Endless Dream(アルバム「JUMP WORLD」)

意外にシングルが2曲入っている。Timeは1stアルバムに収録されており、どの程度メジャーなのかわからないがとても好きな曲。Yes!は山田くん八乙女くん髙木くんのユニット曲で、セクシーでカッコいいJUMPが見られる。

 

SMAP

SMAPに赤いイメージがない人も多いと思うのだが、楽曲が多いので赤い曲も意外とある。SMAPは明るい国民的スターというだけでなく、ロックで暗い側面も持っている。こちらの顔をぜひ知ってもらいたい。

  • Mistake!(シングル「Mistake!/Battery」)
  • Call Your Number(アルバム「Pop Up! SMAP」)
  • Flapper(アルバム「MIJ」)
  • Battery(シングル「Mistake!/Battery」)
  • Thousand Nights(稲垣吾郎/アルバム「MIJ」)

BatteryはUSJでかかっているJeff Miyahara Remixのほうが赤い。SMAP楽曲の中で一番赤いのはFlapperだろう。女の子と絡む振りが非常にセクシーだ。(中居くんは恥ずかしがってちゃんとできない。かわいい。)Thousand Nightsは吾朗ちゃんのソロ曲で、ど真ん中赤い曲だ。何を隠そうMIJ大好き。

 

TOKIO

ファンの方には非常に申し訳ないのだが私はTOKIOの楽曲には明るくない。だがその中でも、太陽と砂漠のバラをどうしても取り上げたくてこの項目を作った。長瀬くんのボーカルは赤い曲に向いてると思う。

TOKIOの赤い曲は気温の高い夕焼けのようなイメージがある。どこか古臭い歌謡曲調が、長瀬くんのボーカルと非常に相性が良い。雨傘と渦中の男に関しては、椎名林檎の曲をここまで歌いこなせる歌手はなかなかいない。太陽と砂漠のバラはすごく好きな曲で、赤い暑さとうら寂しい切なさがとても良い。

 

ジャニーズWEST

明るいハッピーチューンやポップな関西弁の曲が多いジャニーズWEST。まだ楽曲数が少ない(と言ってもデビュー2年にしては多い)割に赤い曲もあり、実はセクシーもダークもしっかり歌える優秀なグループだ。

  • Can't stop(シングル「ジパング・おおきに大作戦」)
  • オンリーロンリー(DVD「なにわ侍 ハローTOKYO!!」)
  • Toxic Love(アルバム「パリピポ」)
  • TAMER(中間淳太/アルバム「ラッキィィィィィィィ7」)

TAMERは中間くんのソロ曲。Can't stopはだいたい黒い衣装で歌っているが赤いイメージが強い。オンリーロンリーはバラードだが温度が高く赤い印象。これも夕焼け系。朝焼けは赤くないが、夕焼けは赤い曲に分類できる。

 

その他の赤い曲たち

グループの楽曲には詳しくないが、この曲は赤くて好き!という楽曲たち。きっと詳しく聞けば他にもいっぱいあるんだろうなあ…。

だいたいこれぐらいが私の大好きな赤い曲シリーズ。あまり知らないグループにも赤い曲がもっとあると思う。そしてこれからもジャニーズでいろいろな「赤」が聴けるといいなあ。

 

ジャニーズの「黒い曲」

色で楽曲を分類するのは以前から面白いと思っていて、他にもあるのでここでは特に好きな「黒」の楽曲だけついでにまとめたいと思う。これ以外にもピンクとか青とか朝焼け夕焼けとか色々ある。

ジャニーズには黒+色の楽曲が多いが、ここではかなり純粋に「黒」の楽曲を選んだ。KAT-TUNは黒い曲が多いが、中でも他の色の混じらない純粋な「黒」の曲。黒い曲が少ないグループの楽曲については「黒」判定が少し緩くなっている。

だいたい自分の好きなグループの楽曲に詳しいので数が偏っている。赤との区別は私の心の中に。個人的には明確な違いがあるのだけど恐らく伝わらない自信がある。

 

おまけ・ジャニーズの「金の曲」

完全にタキツバ曲を挙げたかっただけ。金は他の色とはわかりやすい違いがあると思うが、出来るだけ衣装や演出に引っ張られないように気を付けた。

タキツバ楽曲には圧倒的に金の曲が多い。中でも金キラキンなのはこれらの楽曲だと思う。GOLDに関しては完全に曲名。チュムチュムやOthersideは衣装に引っ張られている気もする。

 

ここに挙げた楽曲が好きな方は、同じ分類の楽曲を聴いてみると好みの楽曲に出会えるかも。そしてそこから別のグループも追うようになって事務所担になるかも。レッツ事務所担。ちなみに分類は完全に私の主観なので全然参考にならないと思いますが悪しからず。

ジャニーズの楽曲は、J-POPがどんなにダンスミュージックに傾倒しても独自の赤や黒や金を残していてほしい。そんな願いを込めて。今年もたくさん良い曲やパフォーマンスに出会えますように。もう2月だけど。

ベストアルバム投票したし、好きなKAT-TUN曲10選挙げてみる

ベストアルバムに向けてのアルバム・カップリング曲投票も済ませたところで。「KAT-TUNは俺たちの青春」が合言葉の私が選ぶ、好きなKAT-TUN曲10選。

種類問わず…と言いつつ、やっぱりシングル曲は避けたかも。有名すぎてチートな曲は避けた上で、KAT-TUNと言えばコレ!と思うヘビロテ曲。ろくーんに偏らないようにと思ったけど、やっぱり思い出補正で懐古多めなのはもうシカタナイヨネ…。

更に、歌詞からしてあからさまにエロ曲!卑猥!っていう曲は今回は避けました。そういう曲は私の中で別ジャンルだと思っているので、それはそれで別の記事として書きたい。

 

1.HEARTBREAK CLUB(アルバム「cartoon KAT-TUN Ⅱ you」収録

ぶっちゃけ今回の投票で初めて音源化されてたことを知った。当時はまだ我が家にネット環境がなくて情報収拾がちゃんと出来なかったのだ…。悔やまれるばかり。今からでもネットでなんとか入手できないだろうか。

ザ・KAT-TUNなハードロック曲。赤西仁リードボーカルでワントップだった頃の曲の中で、ナンバーワンを選ぶとしたらこの曲だと思う。歌詞・言葉の卑猥さではなく、パフォーマンスでセクシャルさを強調しているところが好き。あとやたらと低音の多い曲で、勢いのある粗削りなハスキーボイスが非常に耳に残る。

 

2.僕らの街で(シングル「僕らの街で」収録)

亀ちゃんのドラマの曲だが、私は当時、ドラマの物語を遥かに凌ぐこの曲のシリアスさに衝撃を受けた。切羽詰ったもの悲しさと、そこから見る希望の細い僅かな光。初めて聞いた時は「上を向いて歩こう」みたい、と思った。そのシリアスさは正直、ドラマと合わないほどだと感じたのをよく覚えている。

その切実さ、焼けるような切なさがぴたりとハマったのは、発売から9年の時が経った2015年11月だ。「探しても探しても見つからないけど 確かなものはきっとどこかにあるよね」「初めて君を見つけたあの日 突き抜ける青い空がただ続いていた」「今は僕らを信じていたい 今の自分を信じていたい」「誰も僕らを決して認めはしないだろう 誰も決してわかろうとはしないんだろう」…どの歌詞も泣けてくる。悲しみは絶対にあるのだけれど、その中にも希望を見ようとするその切なさ、それが現在までのKAT-TUNの物語にぴたりと当て嵌まるような気がした。と思っていたら、カウコンで歌ってくれた。

小田和正さん作詞作曲なので、言われてみれば「言葉にできない」感がある。だが、これはKAT-TUNの歌声であることに意味があると思う。若者の命や存在を懸けた切実さであってほしい。

 

3.DIAMOND(シングル「RUN FOR YOU」収録)

これはもう、圧倒的に「今聴くと涙腺が壊れて止まらない」曲である。「別れた仲間の数だけ遠くまで届くように」「このドラマの先に続くのは」なんて、今この時に聴くために用意されたのかとさえ思ってしまう。どうかこの曲はベストアルバムに収録して欲しいし、春に行う3人のドームツアーでもやってほしいし、3人のKAT-TUNが活動再開するその時にぜひ歌ってほしいなんて妄想までしてしまう。(3人のKAT-TUNが活動再開する時なんてどの曲を歌われても間違いなく涙腺崩壊するのだけども)

私の好きなKAT-TUN曲の中では比較的明るい曲調だが、その中でもやはりどこか悲しみを感じるような半音の使われ方。これが好き。やっぱりKAT-TUNには暗い輝きが似合う。私の記憶が正しければ一度しかコンサートで披露されていなかったと思うのだが、演出によってまったく色が変わる曲だと思う。

 

4.care(アルバム「Break the Records -by you & for you-」収録)

ソロ曲だけどこれだけは入れておきたかった。赤西くんのソロ曲ならPINKYやHa-haのほうがKAT-TUNらしいのでは…とも思うし、ソロ曲がアリなら00’00’16とか1582とかLove in snowとかサムライラブアタックとか、キリがなくなってくるのだけど。

この曲は「リア恋枠としての赤西仁」のすべてを凝縮した1曲である。ハードでセクシーでワイルドで激しいイメージの強い赤西仁には、もうひとつ、バカで幼くてどうしようもなく可愛い男というキャラクターがある。そう、この曲は赤西仁のヒモとしてのポテンシャルの高さを物語っているのだ。こんなヒモにこんな風にそれらしいこと言われて励まされて搾取されたい。

…という邪な妄想を置いておいても、赤西仁のイメージよりもずいぶん優しいこの曲に、絆されたのは私だけではないはずだ。赤西仁は、どんなに激しいセクシーさを強調しても、そこにどうしようもなく愛嬌があった。どこにも作られたアイドルとしての不自然さがない。だから時折こうしてストレートな愛情や優しさを歌った時、どんな扇情的なパフォーマンスよりも強烈に魅力を感じるのだ。

 

5.RHODESIA(アルバム「BEST of KAT-TUN」収録)

KAT-TUNらしさが他の曲とは違う形で表れている。歌詞の意味はほぼよくわからないのだが、どこか果てしない場所へ向かっていく、当て所もない冷たい荒野のイメージ。その割に「辛辣な世の中は真実を嫌って」「君よただ狂おしく日々を行くがいい」という抽象的な表現ではあるが、さほどファンタジーな世界観でもない。ジャンルとしてはロックに入るのかもしれないが、多少V系の匂いがする。

「永遠は儚い だけどRhodesia」という旋律が、歌詞の意味のわからなさを軽く超えて心を揺さぶる。ところでローデシアとは、現在のジンブバエ周辺が白人統治されていた時代の名称らしい。未開の地を拓くような、何かに侵略され滅亡していくようなイメージで聴くといいのかもしれない。なんにせよ、この曲にもし別のタイトルをつけるとしたら「新世界へ」だと思う。この圧倒的な壮大さを軽く歌えるのがKAT-TUNだ。

 

6.STAR RIDER(シングル「BIRTH」収録)

BIRHTのカップリング曲。私は本来こういう電子音の曲はあまり好きではないのだが、この曲のキャッチーさ、エネルギー、ハーモニーには今後のKAT-TUNの可能性を感じたのをよく覚えている。聴いた瞬間にコンサートでレーザービームのような照明がバンバン使われるのが目に浮かんだ。

これまでのKAT-TUNと違うのは、電子音によってエモさ・感情を限りなく抑えた曲になっていて、且つアップテンポでKAT-TUNらしい暗い輝きを持っているところだと思う。KAT-TUNには電子音の曲も意外に多いのだが、最も成功した例と言える。

 

7.BIRTH(シングル「BIRHT」収録)

KAT-TUNらしい曲としてはかなり希望的要素が強くて、「Real Face」に似ていると思う。ああこの曲がKAT-TUNの第二のデビュー曲なんだ、と当初思ったそこから更に2人も脱退者が出るとは…。「もう〝ココ〟に戻れない」「前だけ見て歩き出す 終わりなき世界でキミを探す」「諦めなければ終わらない」という歌詞が、新たなKAT-TUNの背中を押すように感じられた。

一方で、「存在さえ知られず世界は回り続ける だけど今は出会いを信じてみたい」という部分は、ここだけはKAT-TUNではなく、KAT-TUNだったある男の、今となっては誰かの、言葉なのではないかと思えてしまう。そういうオーバーラップも含め、再出発にして決別の歌。

 

8.Peak(アルバム「cartoon KAT-TUN Ⅱ You」収録)

ろくーん時代だけどこれは5人で歌ってる印象のほうが強い。歌番組なんかで5人で出てたと思う確か。曲調はKAT-TUNらしいロックで、「赤」を想起させる曲なのに、まったくセクシャルな雰囲気がない。むしろ、KAT-TUNが歌わなかったらただのアップテンポで前向きな応援歌だ。そこにKAT-TUNの不良っぽさ、ハスキーで少し荒い歌声が入ることで、この曲を面白くする。この曲でKAT-TUNの価値を再確認したように思う。

今となっては、この曲を再びKAT-TUNらしく歌えるかどうかが、KAT-TUNの再起を占うように思う。どうかドームでこれを歌ってほしいと勝手に願っている。「ゼロになるまで」という決意をもう一度見せてほしい。

 

9.Dead or Alive(シングル「Dead or Alive」収録)

4人のKAT-TUNには、なかなか再出発と感じられる曲がなかった。30代に入るメンバーも出てきて、「大人なKAT-TUN」という印象の強い曲が多く、本来のKAT-TUNらしさが4人で完成した形にはなかなか当てはまるものがなかった。だから2015年頭にこの曲が発売された時、これは4人のデビュー曲だと感じた。

その年の11月、この曲は再出発ではなく、決別の曲だったのだと知る。いや、もちろんこの曲の製作時にそんな意図はなかったのだけど、「時が終わるまで I'll never let you go alone」「挑んだGAMEはリセットできない」と、田口くんへ向けたのかと思える歌詞がいくつも入っている。この曲は4人でリリースしながら、3人のKAT-TUNの物語になった。

3人のKAT-TUNは、ぜひこの曲から初めてほしい。TRAGEDYのほうががそういう意図で作られている曲なのはわかっているが、私はこちらのほうがKAT-TUNらしいと思う。暗い輝きを残したまま、年相応に大人になったKAT-TUNらしい曲。ギリギリでいつも生きているギャンブル性をCARDに喩えた、この曲が新しいKAT-TUNのデビュー曲であってほしい。

 

10.ハルカナ約束(アルバム「BEST of KAT-TUN」収録)

最後はやっぱりこの曲に戻ってくる。この10年、15年のすべての物語をここに集約して聴くことができる。「信じる君がついた嘘なら」「あの日俺たちが信じた夢」「刻むハルカナ約束」と、6人を結び付けていた何かをいつまでも想うことができる。この曲はタイムカプセルだ。この曲は絶対に6人でないと完成しない。

他の曲はどれも必ず残ったメンバーで埋め合わせているのに、この曲だけは未完成のまま歌い続けている、と思う。この曲だけが、6人だったことを忘れない。完成できないなら歌わないという選択肢もあるだろうに、セトリに残してくれるのは、6人だった頃の思い出まで含めてKAT-TUNだからだ。そんな風に思わせてくれる。

そしてふとした瞬間に、10年前のCDに残るかつての完成形を聴きたくなるのだ。「回る名も無い約束」。その約束は果たされなかったのだろうけど、それでも君がついた嘘なら、何度でも信じるよ、と。

 

 

やっぱりろくーんが多い。というか私は赤西仁の声がとてもとても好きだったんだよなあ…。何ならデビュー前の洗練されてない粗削りな声をしてた時が一番好きだった。赤亀のハモりが好きだった。ろくーんの何もかもが本当に好きだった。こういう形になってしまったけれど、KAT-TUNを残して歌い続けてくれることは本当に嬉しい。

そしてあれほど色々なことがあったのに、KAT-TUNの可能性を模索し続けられるのは本当にジャニーズ事務所ならではだ。普通のプロダクションだったらKAT-TUNという名前を残すことすら難しかったと思う。だからこそジャニーズもKAT-TUNもいつまでも応援したくなる。

この他にもLIPSとかGOLDとかNever againとかKeep the faithとかDon't you ever stopとかHELL,NOとかTABOOとかSadistic LoveとかBUTTERFLYとかRed Sunとかについて語るシリーズもやりたい。

それにしてもずいぶんエモーショナルな記事を書いてしまった。状況の分析なんかは冷静にやりたいけど、好きなもの語りはエモくいきたい頭よりココロで考えるタイプ。

やっぱりKAT-TUNは俺たちの青春。