この愛を欺けるの

にっちもさっちもどうにもこうにもなんでもあり

奇跡のユニット〝舞祭組〟が成功した理由

2018年は、〝舞祭組〟というKis-My-Ft2からの派生ユニットによる全国ホールツアーが行われた。そのラストに合わせたようなタイミングで発表された、彼ら4人による主演ドラマが、明日最終回を迎える。聞くところによると、深夜帯には異例の視聴率を叩きだしているらしい。

結成から5年。1グループの企画ユニットとして、ここまで大きく発展し、グループ本体に貢献したユニットが他にあっただろうか。舞祭組というプロジェクトは今や、知名度といい活動状況といい、完全に成功を収めたと言っていいと思う。

 

舞祭組の成功は、従来と異なる価値観を打ち出すという大きな賭けと、いくつもの奇跡の合致と、キスマイ7人全員のポテンシャルの高さがなければ実現しなかった。

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舞祭組は奇跡のユニットだその奇跡がいかにして起きたのか、重要な要素を挙げてみた。

 

4人全員、スーツがめちゃくちゃ似合った

スーツって言っても、舞祭組が着てるあのスーツです。世の中で一番ダサい、新人社員風のグレースーツ。舞祭組がカッコ良すぎてみんな忘れてると思うけど、あれ、世の中のスーツでは一番ダサいやつだと思う。スーツという形がかなり似合う身体でないと、あのグレーのダサさを拭えなかったはず。

アイドルが着るスーツって普通は衣装だから、絶対その子の体型に合ったものを選んでるんです。ジャニーズだと一般的なメンズスーツ型より、レディーススーツに近いくびれた形のものの方が似合う子が結構いる。その一番の例が藤ヶ谷くんで、肩回りがどうしても余っちゃうんですね。キスマイ7人でスーツ衣装でも、藤ヶ谷くんのは腰にかなり切り替えが入ってたり、形が工夫されてることが多い。

舞祭組のスーツのタグが番組でチラッと見えたことがあるんだけど、大量生産のもので、オーダーメイドでもなんでもなかった。ストレッチゼロの素材で、あの人たちガシガシ踊ってるんですよ。すごい。

結成時は22歳~27歳、現在では27歳~32歳の舞祭組(時の流れを感じる)。アイドルとして決して若いほうではないけど、お腹周りがもたついたり、オジサン体型に近づいたりということが一切ない。いつでも全員が、華奢で細身なアイドル体型を完全にキープしている。これも当たり前のことじゃないと思う。

ちなみに、キスマイのフロントはこの一般的メンズスーツ型が揃ってあんまり似合わない。キスマイの衣装が前列・後列で違うのは格差から始まったことだけど、似合う形の違いがピッタリ当てはまって、全員が一番合う形を着ている。これも普通に奇跡だよ。

 

キスマイとの合致

キスマイは「KAT-TUNの弟分」という触れ込みだったが、KAT-TUNとの一番の違いは、当初まだJrだったことも相まった壮絶な渇望感、必死感だろう。KAT-TUNは、ひたすらチャラくて余裕そうなダルそうな雰囲気がカッコ良かった。一方のキスマイは、とにかく貪欲で野心が強く、時にはみっともないほどの必死さが持ち味だと思う。泥臭くてめちゃくちゃに必死で、目的のためなら手段など選んでいられない。それは代表曲FIRE BEATにも表れている。

〝ぶさいく〟なんて名前を冠されてもへこたれないアイドルグループなんて、後にも先にもキスマイしかいないだろう。自分たちの野心のためにどんなことでもやる。とはいえ当初はメンバー個々に葛藤もあったらしいが、そんなことさえ割り切って〝舞祭組〟を常にやり切ってきた。あらゆるスタジオの床を這いずり回ってきた(物理)。

また、デビュー曲の「棚からぼたもち」は中居くんによる作曲だが、途中にカッコいいラップパートがあったり、勢いのある曲調ながらどこかマイナーな響きを持っていて、楽曲として「FIRE BEAT」のような、キスマイっぽさがあるのだ。違う歌詞でキスマイの曲として歌ってもおかしくなかったかもしれない。

 

〝後ろの4人〟なのに見応えがある、キスマイのパフォーマンスレベルの高さ

考えてみてほしい。グループのうち、人気で主力の半数を抜かして、後列だけでパフォーマンスをするということを。

そりゃもちろん、4人の中にも歌の上手いメンバーも、ダンスの上手いメンバーもいる。けどそもそもグループは普段、その人数で歌声や迫力を支えている。普段の半分の人数で、シングル曲として歌番組でパフォーマンスする経験は、本人たちにとっても凄い経験だったに違いない。しかも、完全生歌だ。振り付けもガシガシ踊っている。

いつもの半数でのパフォーマンスを見事完成させたことは、舞祭組の成功には欠かせない要素だっただろう。これを支えたのは間違いなく、千賀くん・二階堂くんのニカ千シンメだ。キスマイで一番ダンスの上手い千賀くん、ハスキーで色気のある歌声の二階堂くん。そして、宮田くんの基本に忠実な歌とダンスは、舞祭組のグループとしての説得力を支えている。〝後ろの4人〟にも関わらず、このレベルのメンバーが揃っていること自体、キスマイのレベルの高さを物語っている。

舞祭組4人にキメキメのダンス、聴き応えのある歌があったからこそ、横尾さんのあの破壊的な歌が活きた。それさえ武器に出来たのは、基本的なパフォーマンスのレベルが高かったからにほかならない。

 

横尾渉という掟破りの存在

ごめん自担だから語らせて。だって、普通います???グループにあんな歌下手でダンスぎこちなくて喋りも下手な人っています???

これね、横尾さんがすごいのももちろんだけど、キスマイの他の子がすごいんですよ。あれほどパフォーマンス上戦力にならないメンバーを、結成から約8年、ひたすら抱えてきたんですよ。もちろん横尾さんが人間関係に果たしている役割を知っているので、一概にそれだけでは語れないけど。パフォーマンスを構成するのも大変だったろう。

それが舞祭組の1stシングル「棚からぼたもち」の披露後、キスマイの下支えや脇役に徹するように生きてきた彼は、一夜にして舞祭組の主人公になった。舞祭組は、横尾さんのシンデレラストーリーの機能も果たしたのだ。だからファンからも根強く愛されるユニットになった。

そして彼の存在こそが、舞祭組を一発屋の企画もので終わらない、息の長いコンテンツに押し上げたんだと思っている。「キラキラアイドル」という固定観念から、「必死な、泥臭いカッコよさ」という価値観の転換、これが舞祭組のテーマでもある。価値観の転換を示したからこそ、幅広い客層に支持されることになったのだ。その理念を体現しているのが、横尾さんの歌だ。「歌が上手いほうがいい」という固定的な価値観に対して、「下手だからこそ面白く、芸として成り立つ」という新しい価値を創り出した。掟破りの舞祭組という企画は、横尾さんなくして絶対に成り立たなかったと断言できる。

 

UTAGEのヒット

舞祭組について語るとき、UTAGEという番組を抜きにしては語れない。UTAGEは2014年4月~2015年9月に放送されていたTBSの音楽バラエティだ。中居くんがMCで、舞祭組がレギュラー出演していた。

ファンはあれこれくだらない野次を飛ばす不届き者も居たが、彼ら4人にとって、これほど貴重な経験はない。毎週のように歌を披露し、中居くんとの掛け合いに応え、番組を作っていく。レギュラーが舞祭組のみ(結果的にケミストリーの川畑さんもほぼレギュラーだったけど)だし、中居くんにとって番組中唯一の後輩とあり、中居くんは4人を本当に容赦なくいじったし、球を投げたし、オチの役割を全面的に舞祭組に求めた。こんな環境に、デビューから3年目で出会えた彼らは本当にラッキーだ。逆に言えば、それがキスマイの力でもあった。

あまりにも4人の飲みこみが良いので、一時期はフロントより舞祭組4人のほうが芸能人らしくなってしまった時期すらあった。でも、フロントも一瞬にして巻き返してきた。このフロント・舞祭組という対立構造は、相乗効果でキスマイの芸能人としてのスキルを底上げした。

レギュラー放送を終えた今でも、UTAGEは特番期のたびにゴールデン特番が放送される、TBSの主力商品のひとつになった。前回の放送では視聴率が高く、次回放送を早く作れと上層部からプレッシャーすら掛かったらしい。そのおかげで、私が周りの人に横尾担であることを話せば、かなりの確率で「歌下手な子でしょ!」と認知されている。自担が周りに知られていることほど、嬉しいことはない。

 

フロント3人が、並行して活躍し続けた

舞祭組は企画もので、リリースのペースも遅いからか、リリースするとなると、場合によってはキスマイよりも歌番組に出る。そうでなくても、舞祭組の4人はキスマイでの露出+舞祭組の活動がある。その上、UTAGEやプレバトなどバラエティへの出演もあった。

さっきも書いたように、明らかにフロント3人よりも、舞祭組のほうが露出が多い時期すらあった。それを乗り越えて、ガヤ、キタ、タマの3人は、今でも舞祭組に比べて高いタレント力と知名度(日経エンタテイメントのタレントパワーランキングを参照)を保っている。キスマイ全員、1人残らず、ひとつひとつの仕事を確実に次に繋げてきたからに他ならない。

自分たちが〝舞祭組〟の名を背負ったからには、キスマイの顔である3人に跳ねてもらわなければ困る。その思い、状況はフロントも相当に感じていたようで、藤ヶ谷くんが「俺、カッコよくいなきゃいけないんだなと思った」(I SCREAM特典映像)と後に語っている。〝舞祭組よりカッコいい3人〟〝キスマイの前〟。3人にとってもそれは、相当に重い看板だっただろう。それでも3人は、絶対に弱音を吐かず、弱みを見せず、カッコいい3人を貫いて、頑張ってくれた。もし途中でタレントパワーが逆転するようなことがあれば、舞祭組という企画はここまで長く続けられなかっただろう。ファンとして、3人には頭が上がらない。

 

キスマイというグループの結束力

グループの半数を別ユニットとして、コンサートで披露するだけでなく、テレビにも出て活動するということは、グループを物理的に分断状態にすることでもある。さらに上に書いたように、〝泥臭く一生懸命な舞祭組〟と〝カッコよくてクールな3人〟という色分けが強制的に敷かれたようなものだ。別々の価値観を同じグループに内包することは、もちろんグループの強みでもあるけど、そうなるためにはまず、違う価値観を抱えるだけのグループの強固な結束が必要だった。

舞祭組が結成した2013年、キスマイはデビュー丸2年、やっと3年目に入ったところだった。普通のデビュー3年目のグループだったら、ここまで大きな分断が訪れたとき、場合によっては空中分解してしまうことも有り得たと思う。

キスマイは、デビュー前にグループとして約7年活動した経験がある。プライベートでも強固な繋がりがある組み合わせがいる。北山くんと二階堂くん、横尾さんと藤ヶ谷くん、宮田くんと玉森くん、そう、舞祭組とフロントに跨った人間関係が強かったのだ。これも奇跡と言っていいだろう。最年少の千賀くんは二階堂くんと、シンメというキスマイにおける最も重要な繋がりを持っているし、最年少としてフロントの藤北、舞祭組の横尾さんというお兄ちゃん組3人から愛される存在である。

これだけ強固な結束力を、デビュー3年目にして持っていたという点も、舞祭組というプロジェクトを可能にした重要な要素だっただろう。

 

舞祭組がすごいユニット=キスマイがすごいグループ

舞祭組の成功に必要だった様々な要素は、キスマイがすごいグループだからに違いない。キスマイのグループとしての完成度の高さ、自意識と野心の強さ、ギラギラした褪

せることのない輝き。舞祭組という企画の成功は、キスマイのすごさを証明していると思う。大好きなグループを、別の角度から切り取った面を見られて、舞祭組担ってめちゃくちゃお得だと思う。

そんな舞祭組の初めてのコンサート、コンセプト通り必死で泥臭くて、コミック企画なのにコンサートとなるとまるでJrみたいにパフォーマンスを追及してきたあのステージ、映像で見たいな~~~。今日もエイベックスにメールを出します。

私の「ジャニヲタセブンルール」

moarh.hatenablog.jp

かの有名なあややさんの記事に触発されて書きます!!気持ちはあるけど文才とクリエイティビティに恵まれなかったオタクなので皆さんの記事に軽率に影響受けてしまう~~~~~!セブンルール好きです!ほんとはパワポ画像までマネしたかったけど時間もないのでテキストで。いち弱小横尾さんぺろぺろオタク(文字にするとめちゃくちゃキモい)のセブンルール。めちゃくちゃパクリ記事です。

ちなみに、本家のセブンルールは本人に密着して、こうしてます~とかこういう感じですね~とか言ってるのをルールとして書き起こすものなんだけど、その感じでジャニオタとしての傾向なんて言ってると7つではとても収まりきらないので、「自分自身に意識して課しているルール、ともすると自分が抵触する可能性があるので気を付けてること」を基準にします。自然にそうなってるものはルールとしてカウントしないってことで。

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RULE 1 テレビは一般人として見る

これデビュー組のオタクのかなり大きな課題だと思うんだ。テレビの企画問題。テレビというマスメディア、自担が一番広く世間に知れ渡る場とあって、そこでの取り扱われ方や演出方法にはナイーブになるオタクが多い。

それにジャニオタって根っこがオタクだから、テレビを制作してる光の世界の人々とはたぶん感性が合わないんだよな~。ネット上でテレビ批判が強いことからもわかるように、テレビって強者の理論で作られてるんですよね。これは正直どっちが良いとか正しいってことはないんだけど、少なくとも現代において、オタクとテレビは相性が悪い。自分に合ったメディアを選べる時代、という側面もある。

ところがどっこいジャニオタやってるとそういうわけにもいかなくて、自担は毎週、ほぼ毎日のようにテレビに出てたりして、そう言う自分もテレビから自担を好きになってたりする。自担の顔が好きだから、映像はついつい見てしまう。

担歴が長くなればなるほど、絶対ファンになる前の一般人の気持ちって忘れてる。些細なイジりや扱いで笑えなくなっちゃったり、扱いの偏りが気になったり、アイドルを知りすぎてるから、そこキャラ違うのにって思ったりしてしまう。でもこれは、オタクというテレビ文化と馴染めない存在になった証拠なんだと自覚すべきなのはオタク側だと思う。「嫌だなと思ったら見ない、途中でも見るのをやめる」っていうのも、一般人として普通にテレビ見てる時はそうするから、ここに含まれるんじゃないかな。

 

RULE 2 コンサートはセトリと演出を調べて行く

ネタバレ禁止のNEWSもびっくり、私は絶対にガッツリネタバレを見て行きたい過激派という希少なオタクです。よくネタバレ苦手な方が「初見の感想を大事にしたい」って仰るんですけど、私の場合、完全な初見だと全然記憶に残らないんですよね。だから、初見の感想を大事にするために、ネタバレが必須なんです。

現場で自担をどう追うか、セットリストはどういう狙いで組まれているのか、どこでどんな演出があるか、かなりシミュレーションしてから行くことにしている。そうすると、不思議と現場で見たものがかなり記憶に残りやすくなる。あと自担の追い方なども考えるから、現場での後悔が少なくて済む気がする。

ネタバレを見ること自体がすごく楽しい作業ってわけではないし、セトリならすぐ見られるけど、演出や立ち位置のレポまで探して、シミュレーションして頭に叩き込む作業は結構大変だ。だから現場前に時間がなかったりして、たまにこの工程を飛ばしてしまうんだけど、そうすると後で現場での光景が全然思い出せなくてすごく後悔したりする。

 

RULE 3 同じ現場は3度まで

ほんとは2回までって書こうとしたんだけど、今まさに本当に本当に好きなコンサートの3回目にどうにか入ろうと目論んでいることを思い出して、3回に訂正した。

これは個人的な後悔から来ている。以前にもう二度と見られないかもしれない過去の曲を自担がやってくれたとき、どうしても何度も一生分を目に焼き付けたくて、全部で4回現場に入ったことがある。全ステないし全体の半分以上入っている人もいるわけだから、自分はまだまだ入ってないほう、と思ってたけど、この数でも私には体力的に限界だった。特にまずいなと思ったのは、2日連続で入ったときの2日目、昨日と同じものを見に行くという未知の感覚に戸惑ったこと。身体の疲れに負けて「行きたくない」という感情が過ぎってしまったからだ。

あと、あんまり同じ現場に何度も入ってると、客とアイドルの距離感が変になってる場面とかが見えてしまう瞬間があって。昨日もいたんでしょ?みたいなこと言うアイドルさんもたまにいるじゃないですか。自分が1ステだと何とも思わないんだけど、多ステしてると、「この中のどれぐらいが1ステなんだろ…みんな多ステなのかな…」とか余計なことを考えてしまう。なので基本は1ステにしてます。

 

RULE 4 音楽を重視する

特に現場でのことを想定して、このルールを入れた。「見る」ことに重点を置くのと、「聴く」ことに重点を置くのとで、行く現場って変わると思う。最初はルールなんて意識はなくて、もともと広く浅く曲だけ聴くジャニーズ音楽担だったので、私の本来のスタンスだった。その頃は決まった担当がいなくて、正直コンサートに行くことにそこまで執着もなかった。

でも自担が出来たら、「見たい」って気持ちが自分のなかですごく大きくなった。コンサートにはもちろん行きたいし、自担は双眼鏡で追いたい。ダンスだって衣装だって見たい。そっちに傾きそうになる自分がいた。

ただ、コンサートとかライブっていう媒体自体、本来は音楽のためにあるものだ。だからと言って「見る」ために行く人のことは否定しないし、アイドルならなおさら、そういう人が多いだろう。けど、コンサートっていう形はもともと、「見る」ことに特化していない。よくジャニオタも言ってるけど、うちわを高く上げる人がたった1人いるだけで、視界は遮られてしまう。そもそも、5万人も集まるという在り方自体、「見る」のに便利とは言い難い。

それに、「見る」ことに重視すると、たった一度の髪型や、肌や、衣装や、演出、移りゆく様々なものにこだわってしまうことになる。自分がたまたま入った公演での、サイコロみたいな要素に振り回されるのは無駄だと思う。なにより、せっかくコンサートに入るのにそんなことで消耗したくない。もちろん程度の問題にはなるんだけど、「見る」ことに神経質になりすぎると、私にとっては良いことがなかった。

この基準で考えると、他担の現場にどれくらい行くか、他担のCDを買うかどうかが定まるので、私にとっては便利な指標だ。アイドルとはいえ、せっかくお金をかけて力を入れて作られた音楽なんだから、きちんと大事にして楽しみたい。

 

RULE 5 必ず終わりがあることを知る

自担のレギュラー番組が終わったとき、先輩グループが解散したとき、コンサートが終わるとき。いろいろな場面でこれを本当に感じる。自分の心に予防線を張るのが我ながら本当に得意なので、嬉しいことが始まった瞬間から、これを肝に銘じている。そうでなかったら、ワンだランドが終わるのなんて耐えられなかった。心が壊れていたと思う(大袈裟)。

自担グループは、強烈な野心と情熱を持って活動をしていると信じている。だからこそ、彼らが幕引きを決めたときは、取り付く島などないことを覚悟している。いつか、何らかの理由でつまづいたり、挫折したりすることがあっても、それを彼らの運命として受け入れるしかない。それがファンという立場なんだと思う。だって、何もできないから。

そのいつかが、いつ来るかなんてわからないから、後悔しないように応援したい。

 

RULE 6 自担と自分の感情の区別を明確にする

ジャニオタやってて起こりやすい現象なんじゃないかなって思ってるんだけど、自担をじっくり見すぎちゃって、自担に起こったことについて、自分の感情をガッツリ投影してしまうことがある。自分がそう思っているに過ぎないのに、自担がこういう気持ちなんだ!!という風に見えてしまって、認識が歪むことが。「認知のゆがみ」って言ったりするけど、私はこういう〝事実のように思い込んでしまう〟ことが一番こわい。それを自分で訂正することがほとんど不可能だからだ。

自担に起こったこと、自担の周りのこと、あらゆるすべてのことに、自分の感情は一旦別で考えて、「私はいまこう思ってるな」と正しく認識してから、自担の感情について考えるようにしている。というか、自担の感情なんてすべてはこちら側の勝手な解釈に過ぎないんだから、あんまり強くこうに違いない!って確定しちゃったりせず、どうなんだろう?って疑い続けていたほうが、まだ少しは真実に近づくような気がする。真実なんて、どうせわからないしね

 

RULE 7 〝違う〟人の存在に寛容でいる

正直これが一番意識する機会が少ないんだけど、一番大事だと思う。もっと意識しなきゃと反省してる。〝違う〟人っていうのはいろいろあって、違うアイドル、違うアイドルを好きな人、違う推し方をしてる人、違うルールを持っている人、違う価値観の人などのことだ。

そんなの当たり前でしょって思うかもしれないけど。例えば、違うアイドル=自担グループのメンバー。自担がメンバーからイジられたり、何かエピソードが出てきた時、それにキレるオタクっているよね。あるいは他のグループとの絡み、先輩後輩関係、スタッフの発言。いろんなところで、オタクってよくキレてると思うんだけど、これはやっぱり、価値観の違う人に対する怒りだ。公式という場に、自担に直接接触できるところに、自分と違う価値観の相手が登場して、自担に影響を及ぼすことへの怒り。

ファン同士でも、ファンになった入り口の違い、好きな自担の髪型の違い、ファン歴の違い、いろんな価値観の違いが怒りや争いの火種になっている。そういうの、ネットやる限り言い出したらキリがない。

と言っても、私自身、価値観の違いに対する怒りが湧いてしまう時がある。だからこそ、それもこれも全部含めて、価値観の違う人に対する意識的な寛容さを忘れないようにしたい。些細なことが許せなくなるのは、執着が強すぎるせいだ。自分の側の問題なのである。

 

ジャニオタセブンルール
  1. テレビは一般人として見る
  2. コンサートはセトリと演出を調べて行く
  3. 同じ現場は3度まで
  4. 音楽を重視する
  5. 必ず終わりがあることを知る
  6. 自担と自分の感情の区別を明確にする
  7. 〝違う〟人の存在に寛容でいる

 

このセブンルールを総じて見ると、全てに共通しているのは「自分の執着を上手く飼っていく方法」だなと思った。楽しく健全なジャニオタ活動には、執着のコントロールが必須なのかもしれない。

セブンルールに入れなかったけど、「攻撃的にならない」とか「人として恥ずかしくないことしない」とかも大事だよね~。ただそこまでいくと人生の指針になってくるので、ジャニヲタセブンルールってことでもないかな~。セブンルールにまとめるの、自分を整理するのにすごく便利だから他のジャンルでもやりたい。

岸優太くんと、’14~’17の〝ジャニーズJr.プラチナ期〟の話

 King&Prince、CDデビュー決定おめでとうございます。

 

 私はアイドルの結婚に対して本当にお祝いの気持ちしか湧かない人間だけど、それでも「CDデビュー」というどこか結婚にも似た変化には、大きな感動と一抹の切なさを感じるもの。特にここ数年のように、ジャニーズJr.という市場が活気あるタイミングだと、もう元には戻れないという微かな喪失感を伴う。

 彼らが大きな夢を勝ち取ったというのに、ファンは本当に身勝手だ。その身勝手さのせめてもの償いとして、それは身勝手であり、本来口を慎むべきことだと知っていなくてはならない。

 

 だからこれはアンポステッドレター。

 

 私がジャニーズJr.を見るようになったのは2014年頃だった。

 キスマイのファンとなって本格的に追っていくと、キスマイがことある毎にJr.時代の話をするのが気になった。もちろん知識としてジャニーズJr.という存在は知っていたけど、そのシーンを追ってみたことはない。今のままではキスマイの話していることを理解しきれないと思ったのが、少クラを見始めたきっかけだった。

 当時は「SHARK2」が放送されたばかりで、多くのJr.たちに活動の場が広く与えられていて、ちょうどジャニーズJr.というシーンが大きな盛り上がりを見せていた時期だった。

 そこにいるたくさんの少年たちを見て、最初、私は戸惑いを覚えた。

 まず人数が多すぎて、顔と名前を把握しきれなかった。キスマイのバックについていた子、キスマイの曲を歌った子、という具合で、自担との結びつきで少しずつ覚えていくしかない。なんだか勉強みたいだった。

 

 キスマイのJr.時代のことも同時進行で勉強していたので、キスマイの頃と比べて、同年代で活躍する子が多すぎるような印象も受けた。

 ほとんど全員が無所属(グループに所属していない)状態にも関わらず、たくさんの少年たちが活躍している様子は圧巻だった。核となるようなグループ(キスマイの頃でいうエビキス)がないことは、彼らの世界を自由にしていて、風通しの良い健やかな空気を感じた。それはそれで、面白かった。

 けど、彼らはあくまでも「デビュー」を目指している。それもおそらく、〝グループでのデビュー〟という強いイメージを持って。

 儚いものが美しいことは、残酷だ。西暦2014年のジャニーズJr.は、眩しいほど美しかった。たくさんの少年たちが、まだあらゆる可能性を残したまま、全員で一緒にひとつの世界を作っている。まさに可能性の塊だ。すべての夢の内包することを叶えた、奇跡の世界。ジャニーズJr.というひとつのグループみたいだと思った。

 そして、それが皮肉にも「デビュー」という彼らの夢によって終わることを、初めから知っていた。なんて残酷な世界だろう。その美しさに戸惑った。ショーとしてその場限りの娯楽に供するならまだしも、担当になって推すなんて、考えられなかった。

 現実には夢や希望よりも、絶望のほうが多いのだ。ジャニーズJr.はアイドルという夢の世界でありながら、現実の少年たちのリアルが透けて見えてしまう。夢の世界がすぐ近くに肉薄していることで、その残酷さが浮き彫りになって見えた。

 私にはそんなの耐えられないと思った。

 

 それでもジャニーズJr.をうっかり見続けてしまったのは、岸くんが居たからだと、今になって思う。

 少クラでどんなに大人数がごちゃごちゃと一緒に歌っていても、岸くんだけはすぐに見つけることが出来るようになった。そこから少しずつ他の子たちも覚えていったが、結局全員をハッキリ認識できるようになるまで1年以上かかった。覚えやすい子と、覚えにくい子がいた。

 この「覚えやすい子」というのがいわゆる「売れ線」なんだと後になって知ることになる。「推されてる子」と言ってもいい。

 岸くんは私にとって誰よりも一番圧倒的に「覚えやすい子」であり、顔が好きなのもあるけど、絶対に売れる子だと思った。事務所も推しているように見えたし、今になって言うのは結果論だけど、デビューすると思った。

 なにより岸くんのダンスが良いと思った。まだ歌声はちゃんと聴く機会が少なかったけど、その特徴的なダンスはファンの間でも「絶対岸くんってわかる」「岸くんだけ動き違う」などと半ばネタにされるぐらい有名だった。それだけ目立つ子だった。北山くんも褒めてた。

 

 2014年10月、もともとミュージカルが好きだった私は、せっかくジャニオタになったことだしと思い、Endless SHOCKを観に行った。キンキ担の先輩がチケットを取ってくれた。行きたいと思った頃には帝劇公演には間に合わず、博多まで遠征をした。

 初体験のSHOCKに感動しつつも、東京に帰ってきて、ひとつだけ心残りがあった。それは、帝劇公演には岸くんが出ていたということだった。ジャニーズJr.でまだ数少ない、思い入れを持って見ている子。その子を生で見てみたい、という思いが強くなっていた。

 翌年のSHOCKにも岸くんが出演することを聞いて、厚かましくも二度目のチケットを先輩にお願いした。心優しい先輩は快諾してくれたばかりか、私の誕生日の公演を当ててくれた。こうして2015年2月、私は初めて岸くんを生で見ることができたのだった。

 これが彼の出演する最後のSHOCKとなった。本当に行ってよかったと心底思っている。生で見る岸くんはまだショタっぽさが残っていて*1、光一くんにでろでろに可愛がられていて、カンパニーで最年少で、ダンスのキレと顔のキメがバッチリで、可憐でかっこいい理想的なアイドルだった。

 

 SHOCK観劇と並行する話になるが、私がジャニオタとして初めてリアルタイムで視聴したJr.ドラマは「お兄ちゃんガチャ」だった。

 原作のファンタジーな設定と野島伸司の独特な演出の相性はさることながら、子役の天才的な演技力によって成立する独自の世界観もさることながら。ガチャから出てきた、ファンタジーな存在たる「お兄ちゃん」の説得力を強固にしていたのは、岸くんのその圧倒的なビジュアルと自然な演技力だった。

 ほとんどのキャストを知らずに見るアイドルドラマを、難なく最後まで観てしまったのは、確実に岸くんのおかげだ。

 

 ドラマと現場、この2つの体験によって、私のジャニーズJr.を見る時の中心は岸くんとなった。Jr.という世界の入り口であり、私がたくさんの少年たちの中から自分で最初に選び取った子だった。

 ところで、もう1人、入り口となった人物がいる。茶封筒の天使こと、安井くんだ。安井くんは、キスマイを追っている中で避けては通れない人物である。だから自分で選び取ったというよりも、キスマイという物語の登場人物という認識だった。もちろん安井くんのことも真っ先に覚えたけれど、私にとって岸くんは安井くんとは違う大きな意味があった。

 

 ほどなくして、キンプリ=Mr.King vs Mr.Princeが結成された。岸くんはMr,Princeという少々の矛盾を感じる名前のグループとなり、かねてから「じぐいわ」と呼ばれ人気を博してきた超カップル売りシンメである岩橋くん・神宮寺くんと一緒になった。

 関西から廉くん・紫耀くんがやって来たのにも驚いた。メディア露出が多いのは知っていたけど、あくまで関西Jr.としてであり、しかも既に関西でユニットのあった彼らの東京Jr.との結成は予想外だった。

 彼らの推され方は凄まじく、当然デビューするものと思った。その年がバレーボールデビューの年であることも相まって、もうキンプリのデビューを誰も疑わなかったと思う。

 

 しかしその年、彼らはデビューしなかった。それどころか、誰一人としてデビューしないまま、気付けば最後のデビューから4年の月日が流れることになる。

 その間、いくつものグループ作られ、皆がみるみる成長し、洗練されていった。少年から青年へと姿を変えながら、蛹から蝶に羽を広げるように、瞬く間に力をつけた。歴や世代のさほど違わないグループが乱立し、年齢というタイムリミットと戦いながら背水の陣で戦う様相は、「戦国時代」と称されるようになった。

 この4年間の膠着状態、後から〝プラチナ期〟って呼ぶんじゃないかな。と思う。2014年に「第二黄金期」などとメディアでも話題になり、そのままグループ戦国時代になだれ込んで、膠着状態が続いた2017年まで。

 

 ’97~’99が黄金期なら、’14~’17がプラチナ期。こう言っちゃうと各方面から怒られそうだけど、黄金期とはまた違う種類の豪華さと、時代が下ったことによるスキル面のインフレ、まるでメンバーが固定されていたかのような安定感=膠着感を表現する適切な言葉が他に見つからない。ハロプロそんなに詳しくないのにすみません。

 この’14~’17年、ジャニーズJr.プラチナ期は、確かにデビューのなかった時期だけど、エビキスがトップだったいわゆる〝氷河期〟とは違う。誰がデビューしてもおかしくない逸材が揃っている。でも黄金期のように、完全にタレント化している人が居るわも、圧倒的な個人のスターがいるわけでもない。

 そんな、層が厚くて横一線の膠着状態。これは、無責任で勝手なファンからしたら、本当に面白い世界だった。たくさんのアイドルたちが、全力の熱量と戦略ですべての場面をアピールに使っていた。誰も一切手を抜かないで、死にもの狂いで戦っていた。

 しかも、黄金期に比べるとJrの平均年齢は確実に上がっている。安井くん(26)から永瀬廉くん(18)、Hi Hi JETさえもう17歳ぐらいだ(しかも彼らはキャリアが長い)。大人の言う通りにアイドルをやってる子どもとは違う。だからこそ、彼らの戦略や打ち出すものは、大人から見ても面白かった。どのグループも、必ずこちらを唸らせる一手を打ってくる。

 

 もちろん誰だって、自担のデビューを望んでる(例外はあるけど基本的にはそうだと思われる)。しかし事実、もう4年もこの〝プラチナ期〟のファンをやってしまったのだ。良くも悪くも、ファンである私たちはこの状況に順応してしまった。

 2018年1月17日、プラチナ期は終わった。King&Princeのデビューを以て、このプラチナ期の終わりが宣告されたのだ。

 デビュー決定に際して、複雑な心境を隠せない人の多くは(自担のデビューを心配したり、もう叶わない夢が忘れられなかったりする人もいると思うが、)このプラチナ期が崩れることへの不安が強いのではないか。

 だって、キンプリがデビューしようがしまいが、他の子の状況に変わりはない。自担がデビューする保証はないし、叶わない夢もあるのが、ジャニーズJr.だ。もともとそんなことは承知でファンをやっている。

 それなのに、キンプリのデビュー決定というタイミングで病んだり不安になったり、場合によってはキンプリやそのファンを罵倒したりするのは、あらゆる夢(客観的に叶う可能性の低い夢でさえ)を否定することなく内包していてくれる、この〝プラチナ期〟が好きだったからだ。

 

 そんな時代を打ち壊す役割を負った、King&Prince。

 その役目を負わせる準備として、ジャニーズJr.と言うとき、彼らを必ず筆頭に推してきたのかもしれない。それでも膠着状態に風穴を空けることは、誰かの希望であり誰かの絶望でもある。その難しさを、きっとキンプリ本人たちもひしひしと感じているのではないか。

 プラチナ期は競争が激しい一方で、本人たちの間に軋轢を生むような出来事はあまりなかった。会社側も、ファンや外部からのグループ同士を比較されないよう、意図的に横一線の扱いで運営してきたようにも見える。

 芸能の本来の厳しさ、この〝プラチナ期〟という夢の世界にはなかったシビアさが、デビューにはある。枠の取り合いというわけではない。恨むのはお門違いだ。でも、メディアや世間やファンによって、勝手に勝ち負けを決め、争わされてしまう。

 

 そしてデビューするということは、そういう厳しさの中でこれからずっと生きていくということだ。

 

 

 私は岸優太担なのか?と言われると、まだわからない。私は基本的に音楽担なので、音楽性がわからないと、どのぐらい推すか決められないのだ。だから今は担当じゃない。でも、ただの推しと呼ぶには余りある気持ちが、岸くんに対してはある。

 現時点でのファンの分布はまったくわからないし、そう大きく違いはないように思える。そしてデビュー後は、露出に応じてファンがそれぞれついていくだろう。けど岸くんは、ジャニーズのファンの掛け持ちや2推し層からファンを引っ張ってきて、それを自分のファンにする力を強く持っている子な気がするんだ。

 だから場合によっては、岸くんが圧倒的な一番人気になる可能性さえある。そんな気がします。

 

 これからの活躍に心から期待しています。

 そして、この美しくて儚いプラチナ期を、打ち破ってくれてありがとう。持続することのないまやかしの喜びから、私たちの目を覚ましてくれてありがとう。

 

*1:ジャニオタあるあるだが、ショタコンの気がある

担当・掛け持ち・担降りの定義を考える~萩谷くんの話を添えて

 担当・掛け持ち・担降りの定義を今一度考えたいんですけど、その前になんでこんなこと考えることになったのかっていう理由について、横尾担の私が萩谷くんに転げ落ちて掛け持ちになった話から始めたい。

 

掛け持ちになった理由と経緯

☆私が萩谷くんにハマるまで

2014年秋 安井くんを知る。それまで避けていたJr界隈を見始める。

2015年春 萩安を知る。萩谷くんについては顔と名前が一致しない。

2015年夏 突如、萩ちゃんすんごいかわいい期到来

2016年春 Love-tuneができてイイネ!注目株!と思う

2016年6月 再び、萩ちゃんすんごいかわいい期到来

2016年秋 この子、ドラムかなり上手いのでは…?と気付き始める

2017年3月 Jr祭りでタムタムの音が良すぎて完落ち

  

 そもそもJrって不安定だし、感情移入したらしんどそうで、積極的に追うのを避けていたふしがある。それがキスマイ担になってから、キスマイのJr時代の話や映像にたびたび触れることで、Jrという世界へのハードルがぐんと下がった。

 萩安、というシンメの存在を知った時、まだ安井くんにしか興味がない状態だった。それと当時、萩ちゃんが絶賛成長期だったことで、半年も経つと印象がずいぶん違って見えて、同じ子だと認識することができなかった。

 2015年夏、2016年春と、ハマる前に年1ペースで「あれ、なにこの子めちゃくちゃ可愛くない??あれ??何この感覚ヤバい」っていう時があった。しかしとても短いもので、それ以降またしばらく普通に少クラを見ているだけで、特に強い感情はないまま。萩ちゃん本人より、むしろLove-tune全体に注目してた。

 

 きっかけは、本人が叩いているドラムの音を聴いた時。

 自分語りになりますけど、私は吹奏楽部の経験があって、パーカッションにとても近い座り位置だったことがあります。そこでドラムセットの音を聞いていました。吹奏楽では、ロックのように重く激しく叩くことがドラムの上手さではありません。体重の軽い人でも、細かく刻む上手さがあります。

 ジャニーズである萩谷くんのドラムの音は、私の知っているドラムに限りなく近いものでした。それも、上手い。刻みが細かくて、音の粒がとにかく綺麗。

 

 萩谷くんのドラムをここまで好きになったのは、でも、上手いからというだけじゃない。音色がめちゃくちゃに良い。音色の良し悪しは最終的には好みの問題になってくるけど、私はあの音色がものすごく好きです。

 というか、たぶん萩谷くんの音って、ドラムとしてはかなり変わった音色なんじゃないかな。少なくとも、私は今まで生きてきてあんなドラムの音を聴いたことがない。ドラムを正確に聴き分けられるほど耳が良いわけではないけど、えびコンのDVDで萩ちゃんの叩いている箇所は耳でわかる。それくらい、特徴のある音。

 まあ要するに萩谷くんのドラムって変態だよね。変態じゃないと出ない音だと思うんだ。ほぼこれが言いたかっただけの記事です。

 

  そんな変態ドラマー萩谷慧吾(※超褒めてます)の変態的な音にドハマりした私だけど、最初は萩谷くんのビジュアルや写真には興味はなかった。

 自担が横尾さんなので、まず系統がだいぶ違う。藤ヶ谷くんタイプですよね萩ちゃんは。藤ヶ谷くんのことはドチャクソ可愛いと思ってますが、基本的に好きなタイプではないんです。というか実は、サブカルっぽいお顔が全般苦手です。

 ダンスはエレガントで、体の柔らかそうな動きや曲の解釈が好きだな~と思って興味を持っていたけど、もともと顔で好きになったわけではなかったので、写真にまで興味はないレベルだった。

 

 だから、アイドル誌を取ってはおくものの、インタビューまで読んだのは今年の夏になってから。それまで、安井くんの言う「萩ちゃんかわいい!純粋!子ども!」っていうイメージが刷り込まれていて、どんなキャラの子なのかって考えたこともなかったぐらい。まだ年齢が若いし、子どもなんだろうな~~ぐらいのイメージで。

 実際読んでみて、この子、変な子だ……と気付きました。

 いや、さっきも述べたとおりサブカル系のお顔が苦手なんですけど、なぜ苦手かっていうとサブカル系の人の性格がわりと苦手なんですね。萩ちゃんは顔から勝手なイメージでそれに近い気がしていて、インタビューを見るのを避けていたんです。なのでものすごーーーーく意外だった。

 メンバーから「萩ちゃんはよくキレる(笑)」みたいに言われてるの見て、えっ………鬼の横尾さんじゃん………という横尾担自重しろ案件な感想が真っ先に来たりなんかした。

 

 そして萩ちゃんがJrの中でも奇行種であること、かなりガチで音楽やってること、メンバーにすごい態度(言い表せない)で接していることなどを知る。

 わりと性格横尾さんと似てる気がするし。横尾さんほどひねくれてないんだけど、横尾さんぐらいの年になったらどうなるんだろう~なんて普通に興味が湧いてきてます。可愛くてしょうがなくなってきている。

 音楽ガチ勢っていうところがデカい。横尾さんが音楽完全にダメなので()。というか、なにもできない世界一美しい自担を推してる反動なのか、なんでもできる自担を求めてるふしがある。萩ちゃんどうやら演技もできそうだし。舞台も映像も見たいな~~~歌もうまいし。ダンスもうまいし。なんでもできるやんすごい。

 萩ちゃんに関しては、今のところそんな感じ。

 

 

掛け持ちブログってありますよね

 ところで。

 「掛け持ち」という現象や心理状態に関して、とても悩む人たちがいる。担降りブログなど呼ばれる記事と同じくらい、掛け持ちブログとでも呼ぶべき、彼女たちの葛藤を記した文章が存在する。

 私は担降りをしたことがないので、担降りする人の気持ちはまだ体験したことがない。いつまでも新規のように横尾さんに沸いてるタイプなので、どんな気持ちなのか想像もできない。そして、これまでは掛け持ちも経験しておらずキスマイ一筋だったため、未知の領域だった。

 「ま、実際そうなったら悩むこともあるのかな~」ぐらいの気持ちでしか見たことがなく、正直そこまでの興味もなかったため、スルーしがちだった。

 

 横尾担4年目にして、無事掛け持ちとなった私。ただなんていうか、掛け持ちに対する葛藤とか悩みがいまのところまったくないどころか、掛け持ちブログを書いてきた人たちの気持ちがますますわからなくなるという問題(?)が発生した。

 いやまあ理解できない人の気持ちは放っておけよと思われると思うんですけど、いろいろ思うところがあるので語らせてください。すみません。理解を深めるためにも、掛け持ちブログで悩んでいる人はいったい何を、なぜ悩んでいるんだろう?ということを考えてみました。

 

掛け持ちってなんだ?担当とは?

 掛け持ちブログ、ひいては担降りブログに繋がる葛藤で必ず出てくるテーマがこちら。担当定義問題。これについて考える。

 掛け持ちは、2人以上のジャニーズを順位なく応援している状態、のことを指すんじゃないかな。と私は思っています。

 私の現状は、ライブに行く(Jr公演は当たらないので行けてないけど)、雑誌を買う、テレビを見るなど、横尾さんと萩谷くんに関してやっている消費活動がほぼ変わらない状態にある。違うのはJrなのでCDなどリリースがないのと、ライブの規模が違いすぎてチケットが当たらず行けてないくらい。これもチケットが当たりさえすれば行きたいし、CDが出れば買いたい。

 たぶん私の様子を客観的に見ると、横尾さんと萩谷くんを同じように追っている人、ということになるだろう。

 担当っていうのは本人が担当、と思えば担当だと思う。「お客さん」はお金を使った時からがお客さんだろうけど、担当っていうのは「好き」とほぼ同義の言葉なので、好きならお茶の間=お金を使っていない人でも担当と思えば担当だ。

 ちなみに私は、NEWSのシゲちゃんやWESTの中間くんのファンでもあります。でも担当ではない。その線引きは私の場合、歌番組以外の仕事=雑誌・バラエティを追っているかどうか、を基準にしている。

 

 これらの定義上、私は完全に掛け持ちだ。横尾さんと萩谷くんを同じように追っている。

 しかし、担当定義や掛け持ち、ひいては担降りの際にも悩みごとが発生する人たちというのは、総じて共通点があると思う。それは、担当・掛け持ち・担降りの定義を「好きの感情の度合」で判断しているという点だ。

 

 好きという気持ちを数値化することは、当然ながら難しい。感情は正確に測れない。ましてや比較するなんてことはできない。

 担当の定義を、「最も好きな人」と考えたらどうなるだろう。掛け持ちは「完全に同率の好き」。担降りは「好きの順位の交代」あるいは「好きな気持ちの消滅」。そう考えると、担当・掛け持ちという状況は一気に難しいものになる。この世に「完全に同率の好き」なんてあるのだろうか。そもそも好きという気持ちはそれぞれ種類が違うと思うし、比べようもない。担降りはもっと大変だ。好きに順位なんてつけられない。担降りする人が、必ず気持ちが消滅してるとも限らない。

 そんな風に、担当の定義を感情基準で考えてしまった場合、いろいろなことの線引き、概念が途端に曖昧なものになる

 

 何が言いたいかというと、私が悩まないのはたぶん、担当定義を「具体的な消費活動」を基準に考えているからだ。自分の行動が判定基準になっているので、境界は明確。コンサートに行った時からがファン、雑誌とバラエティを追ったら担当。歌番組を見ているだけならファン未満。どこで線引きするかは人によって感覚が違うと思うが、一度基準が生まれれば判断は簡単。

 担降りだけは私はしたことがないのでピンと来ないが、たぶん歌番組もCDも雑誌も追わなくなったら、これ降りちゃったな~と思うんじゃないかな。DVDだけ買う、っていうのは他担と一緒なので、今より格段に消費活動が減ったら、という定義で考えると思う。

 この先、私が横尾さんから担降りすることはあるかもしれない。消費活動が今より減ることはあるかもしれない。でも、横尾さんを好きじゃなくなる日が来ることはたぶんないと思う。誇張じゃなくマジで世界一顔が好きなので。

 

感情で線引きできるファンなんていないのではないか

 私に限らず、人間、何年も見ていれば愛着が沸くものだ。好きな気持ちってそう簡単に消滅しないんじゃないか。

 若い子で趣味が年々移り変わっていくならまた話は違うが、そういう子は担降りブログ書いて悩んだりしないんじゃないかなあ。もう次の趣味に夢中になって、悩むほどの興味も失うと思う。例えば自担に怒りでブチギレて降りるような人でも(私はそういう人が心底苦手だが)、それ自体、担当への執着や好きな気持ちの裏返しだと思う。

 でも、実際担降りすることは、ある。

 好きな気持ちが消えなくても、私たちは日々の生活がある。環境の変化や新たな趣味、そして現実に恋人ができることだってある。そうした様々な理由で、担降りすることはあるのだ。好きなままではいられても、実際の消費活動を続けていくにはコストがかかる。

 実際、担降りブログを書くなど悩んでいる人だって、好きな気持ちが消滅したわけじゃないと思う。好きな気持ちが消滅したのなら、悩むことがないからだ。

 

 ここまで考えると、担降りの際に悩んでブログを書く人の気持ちが理解できる。彼女たちに何が起きたのかというと、「好きじゃなくなったら担降り」と考えているのに、好きな気持ちが残ったまま、消費活動が変わってしまうのだ。このズレが様々な葛藤と、はてなブログに溢れるたくさんの「担降りブログ」を生んでいるのではないか。

 

 同じように掛け持ちについても考えると、「完全に同率の好き」という難しい定義に当てはまることは至難の業だ。私で考えても、横尾さんと萩谷くんに対する気持ちを比較するのは難しいし、同率かと言われても答えを出しにくい。

 掛け持ちの場合はさらに、「人に対する好きを比べる」という心理的ハードルが登場する。好きの度合に優劣をつけることは、気持ちの上でブレーキがかかるのだ。しかし、同率です!と迷いなく答えるのも難しい。アイドルに対する好きはひとつひとつ種類が違うからだ。

 それに、やっぱり愛着の問題になるが、後から好きになった子と、もともと何年も追ってた子とでは愛着のレベルが違うわけだから、それが好きな気持ちに差があるように感じると思う。また、好きになって知って行くとき、つまり「新規の状態」そのものが好きな人は一定数いる。そういう人は新しい子に常に重さが傾いていくことになる。

 掛け持ちは「同率の好き」と思っているのに、微妙に好きな気持ちに差があったり、違いがあるまま、消費行動が同じになっていく。このズレが掛け持ちブログとその葛藤を生むのだ。

 

つまり、みんな担当の定義を見直したほうがいい

 担降りブログや掛け持ちブログを見て、私は正直、全然良い気がしなかった。

 別に「ファン辞めたら裏切り者!嫌い!」なんて発想じゃない。なんとなく興味が薄れてしまって、最近追ってないなあ、でも嫌いになったわけじゃないよ!ぐらいのテンションで居てくれれば、なんでもないことだと思う。あるいはログインしなくなるとか。

 でも、担当定義だとか、自分の好きの気持ちの強さとか、そういうことを真剣につらつら考えた上で掛け持ちになったり、担降りされたりしたら、バリバリの該当担からすると正直、「気持ち薄れたならハッキリそう言えばよくない!?!?」と思う。そんなに深刻に考えた上で担降りされたり掛け持ちになられたりしたら、なんだかものすごーーーくdisられたような気がしません????

 

 だってさ、担降りも掛け持ちのファンであるこっち側の都合であって、アイドル側が悪いわけでもないし、降りる人はいろいろな事情で必ず一定数いるもの。それをそこまで深刻に悩まれると、なんていうか、逆に失礼な感じがするよね。私はそう思います。

 あと掛け持ちも担降りも、悩んでる人はほんとに苦しそうだから一回担当定義を変えてみたら、楽になるんじゃないかなあ。

 

 まあ…掛け持ちや担降りで悩むのが好きな人は、別にいいと思うんですけど、ただ見てて、該当担からしたら気持ちいいものではないってことは知っといてほしいなーと。

 担降りブログだけじゃなくて、ファン界隈で突如としてTLに流れる担降り宣言も同じ。担当を感情で判断していると、余計に苦しむことになって、周りも被弾してしまいますし。

 ジャニオタがなるべく苦しまずに済む方法があるのなら広まってほしいです。

 

 担当や掛け持ち、担降りは消費活動で考えると楽ですよ!苦しまずに済みます!

 

 ちなみに、横尾さんと萩谷くんへの「好き」は私の中でだいぶ違う。横尾さんと萩谷くんの年齢ぐらい違う。萩谷くんに関しては将来性にかなり賭けてる部分があるのに対して、横尾さんは今現在の顔とか状態がぜんぶ好き。横尾さんについてはあんまり理屈がない。ただただ好み。萩谷くんは音楽的なところが核になっていて理屈がある。

 好きの度合なんて測れない。横尾さんのほうが長く見てきた分の愛着があるだけで、度合を比べるのは難しい。

 でも、消費活動としては同じことをしているので、私は掛け持ちです。全然悩まずに済みます。超おススメ。

キスマイのすごい話・ずっと7人編

 今年、強くてギラギラでセクシーで必死で闘うキスマイを見せてくれて、私たちキスマイ担を最高に湧かせたコンサート、2017MUSIC COLLOSEUM。

 その興奮と感動とギラギラをお茶の間にいながら再現してくれて、さらに見るだけで何日もかかるような膨大かつツボを押さえたPSYCHOな特典映像までつけてくれるという全部で2万ぐらいする実質無料のコンテンツが、来年1/31に発売される。

 全部買うと2万ぐらいするけど、本編は擦り切れるほど見るし、エイベたんのはからいで特典映像が充実しすぎていて、正直全部を噛み砕くのに1ヶ月は優にかかるようなシロモノなので実質無料である。しかも今回はVRとかいう先端技術でもって、コンサートをステージの真ん中から見られる永遠のチケットがついてるらしい。もう実質無料どころじゃない。

 

 そんなキスマイのDVDなんだけど、今作でキスマイは通算8枚目のコンサートDVDをリリースすることになる。

 ちなみにキスマイ、今デビューから7年目。正味で言うと6年半経っている。

 

 デビュー年数よりもコンサート作品が多いグループって、意外とキスマイぐらいじゃないかなぁ。他のグループについてすべて厳密に知ってるわけじゃないので、なんとも言えないけど…。

 あ、KAT-TUNは多いな。確実に多い。やっぱりデビュー前のを出してると多くなるわけですね。

 関ジャニ∞も最近コンサートとっても多いけど、初期から数えるとどうなんだろ。

 

 なんにせよ珍しいことだと思うんですよね。コンサートDVDがデビュー年数超えてるのって。

 デビューから毎年ツアーなりコンサートなりがあったとして、DVDが出るのが半年から一年後までの間くらいだと、だいたいデビュー年数と全く同じになる。これを超えてるってことは、デビュー前からコンサートやっててそれが映像化してるか、一年間に2種類のコンサートをやってるかのどちらか。

 キスマイはこの条件では両方満たしてるんです。ただ、SNOW DOMEの約束コンと同年にやったGoodといくぜコンは特典映像扱いだったから、円盤としては1作品。DVD枚数を稼いだのはデビュー前のコンサートとなります。

 

 そしてもうひとつ。キスマイはこの8作品を、一貫して同じメンバーでリリースしている。

 これって実はすごいことだよね。ずっと7人でいるってことだから。誰1人欠けずにいられるって、当たり前じゃないから。 

 改めて考えると、KAT-TUNが6人で出したコンサート映像作品数をいつの間にか超えちゃったんだなぁ…。なんだか感慨深いような、感傷的なような。

 

 キスマイの〝オリジナルメンバー〟を7人とするか8人とするか、は、微妙なところだと思う。

 デビュー時をオリジナルとするなら、7人。しかしキスマイを語る上で、Jr時代は切っても切り離せないものだ。デビューと同時に組まれたグループと違って、Jr時代の活動期間もキスマイの歴史に完全に含まれている。

 となると、いつからがオリジナルのキスマイということになるんだろう。 

 Kis-My-Ft.というグループは2004年から存在するが、今とは約半数が違うメンバーだった。まっすーがいたり宮玉がまだいなかったり。兄組の人間関係は完全にここから始まってる。と思う。けど弟組はまだ出揃っていない。

 Kis-My-Ft2になった時、現在の7人が揃う。そこにもう1人いて、8人のグループだった。

 

 私は新規なので、彼のことを詳細に知ることはできない。

 知らないけど、当時のキスマイのバック仕事の多さと知名度(主にKAT-TUNデビューに伴う)、またかき集めた当時のインタビューでの発言なんかで見ている限り、彼はキスマイが固まりきらないうちに辞めたわけじゃない。

 ある程度以上、明瞭に〝メンバー〟という意識が自他共にあり、周囲からの認識もされた状態だったんじゃないか、と思う。その差を例えるなら、今で言うHi Hi JETの2016年と2017年の差というか。それを言ったら、当時を知る人から彼ははしみずクラスのメンバーだと言われて怒られそうだけど。

 

 そう、彼は今のHi Hi JETで言えばはしみず(橋本涼くん・井上瑞稀くん)ぐらい明確にメンバーだったと思うんだ。

 だって横尾さんのシンメだもん。

 それも前ユニットK.K.Kity時代からの、キスマイで最も歴史あるシンメだ。その関係ってきっと、「寄せ集め」と言われたキスマイの中では一番ぐらいに近い距離感だったんじゃないだろうか。

 

 では、オリジナルメンバーは8人なのか?

 結論から言うと、あくまで私個人の解釈になりますが、キスマイのオリジナルメンバーは7人で問題ないと思う。

 

 例えばNEWSは、4人になって以降は別物になったように見えるけど、ブランディングをかなり頑張ってやったお陰でそういうイメージになったに過ぎない。オリジナルメンバー、という言葉の定義ではやっぱり9人になる。確かに4人のNEWSはメンバーの脱退から始まるけれど、そこで経歴はリセットされないし、逆に言えば失われはしない。

 ではなぜ、キスマイのオリジナルメンバーは7人だと考えるのか?

 ここから少々長くなります。

 

 横尾さんのシンメだった彼は、確実にメンバーとして認識されたグループの輪っかから、自分の意思で脱出して別の道を選んだ。メンバーは喪失感を持ったし、彼を失ったことによる揺らぎも幾らかはあったと推測する。観測できないのでわからないけどね。

 彼の不在が横尾さんに及ぼした影響は少なくなかったはずだ。たぶん。

 キスマイは彼を失った。悲しみ、揺らぎ、そしてその後から新たな「7人のキスマイ」を作らなくてはならなかった。彼の空けた穴を、少なくともパフォーマンスにおいて埋める必要があった。それから7人は多くのオリジナル曲を歌い踊り、ローラー技術を磨き、場数を踏み経験を積んだ。

 

 そうして活動を続け、活躍の場を広げていくにあたって、キスマイの土台のところには、彼の不在が与えた影響がずっとあるような気がする。それも含めたキスマイっていう意味で、彼の存在は現在のキスマイの中にもあるんじゃないかなあと思うんだけど、ただそれは8人ということではない。

 これは本当に推測だけど。今の7人のキスマイにとって、「不在」というアイテムがそれなりに重要な要素になっているのではないだろうか。ファクターとして「不在である」という状態。空席の椅子のような、その穴。

 

 横尾担である私は、ときどき、その穴について考える。彼が空けた穴。

 パフォーマンス上はわからないが、人間関係に空いた穴って、結構塞がらないものだ。排他的なコミュニティほどその傾向は強い。まして、確実なくくりのあるグループならなおさらだと思う。

 その穴は塞がったんだろうか。

 

 今年のコンサートのどこかの公演のMCで、彼に言及したらしい。

 そんなこと、この10年で初めてなのでは…?一般人の友達、とか言ってることはあるのかもしれないけど、明確にわかる形での言及があったのには驚いた。

 

 キスマイを見ていると、ごくたまーに、その空いた椅子が見えるように感じることがある。

 普通なら、人間関係に空いた穴は組織を壊す原因になりやすい。なるべく早く塞ごうとするだろうし、それに失敗して崩壊する人間関係って世の中に溢れてる。でもキスマイは、7人の固定的で過密な関係の中に、何らかの大事なものとして空いた椅子を持っているように思う。

 むしろそこに空席があるからそこ、過酷なJr時代を超えて、デビュー後にも様々な苦難を乗り越え、今でも7人でいられてる。そんな感じ。

  「ずっと7人でいられたらいいな」なんて夢のような言葉を、結成から10年以上経った現在でも聞けるのは、それなのに、その言葉が心もとない祈りのような響きを持つのは、8個目の椅子によるものなのかもしれない。

 

 オリジナルメンバーは7人である、と言いたい理由の最大はこれだ。キスマイにとって今、彼の存在ではなく、「不在」が重要なパーツであると思うから。そこに穴が空いているという状態そのもの。

 NEWSが4人になってから築いた人間関係と、キスマイの7人のそれは根本的に違う。NEWSは穴を埋め、より関係を密接にした。普通はそうだ。だがキスマイは違う。キスマイはその穴ごとをキスマイにした。7人の人間関係を保つために、穴を空けたままにした。そう、その穴は今も塞がってはいないのだ。

 キスマイの穴は、組織を壊す奈落ではなく、空いた椅子となった。疲れた人がそこに腰かけたり、誰かと距離を置くために使ったり、時には客人を招いて座らせることさえある、持ち主の去った椅子。人間関係の泳ぎと言ってもいいかもしれない。

 

 つまり、8人であのままいたら、たぶん不器用で関係が密接すぎる彼らは、こんなに長く活動を続けられなかったかもしれないな、ということ。

 だってキスマイって、今見てる限りでもちょっと距離感がバカだし、近すぎて傷付け合ってるのをヒリヒリと感じる時なんかもあるし、基本的に不器用だしそのくせグループにすべてを賭けすぎてるし、普通に見てて心配になることが多い。そこにひとつ椅子でも置いてなかったら、簡単に瓦解しそうに見える瞬間さえある。心が折れる音も聞こえる時あるし。冗談じゃなくマジで。

 だからキスマイは、7人になるべくしてなった。運命的に。これ以上でもこれ以下でもない7人が、キスマイの正解なのではないかな、と思う。乱暴な言い方をすれば、キスマイは8人だった時からこうなる運命にあった。

 

 とはいえもちろん、映像を振り返ると誰よりも大人びて見える彼が、成長してどんなアイドルになっていたのか見てみたかった。これは本当に。青春アミーゴのバックで踊る彼ほんとにかっこいいよね。自担にシンメがいる世界も見てみたかったよ。横尾さんがシンメを組んでいる世界。叶わなかったもの。

 でも、彼がそちらの世界を選んでいたら、8作目のDVDは私たちの手に届かなかったのかもしれない。

 

  7人のメンバーに、8個の椅子。それがKis-My-Ft2

 2006年の〝オリジナルメンバー〟のまま10年以上活動を続けてきた、キスマイの弱さと強さ。

 

 後から遡って観察した推測では、何も確かなことなんてわからないと思います。リアルタイムで見てきた方にはどうか、個人的な妄想に過ぎないと見逃して頂きたいです。

Φ・Twitterやめてわかったこと

 Twitterからフェードアウトして、3つ季節が過ぎました。

 もともと怖くて、Twitter上でさえあまり人と関わりを持てなかったので、私がフェードアウトしたからといって世界にはなにも起こってはいません。横尾さんのことを、どう思いどう言う人が居たとしても、実際に世界にはなにも起こらないのと同じです。

 インターネットなんてそんなもの。所詮はすべて机上のもの、匿名のものに過ぎない。だから私が文章を書くとしたら、もっと気楽なものでいいと思いました。もともと自己満足なのだから、脳内から溢れないようにアウトプットする程度のものでいい。

 

 そんな気持ちだけで書いたので、とてもまとまりのない文章です。

 また、過去のブログとまったく整合性がありません。

 

 今まで、文章力や構成力が足りないので、完結させられずに終わった文章がいくつもありました。それは私がどこかで、誰かの共感や同意を得て、承認されることを求めていたから。

 それをインターネットに求めたら、地獄。

 インターネットの良いところは、現実世界では出会えないような人数の人たちと、出会えないような種類の人たちと、いとも簡単に出会えること。それに伴って起きることは、現実のあまりの多様さに、同一至上主義で育った私たち日本人がどう接したらいいのかということなのかな。

 いまのところ、その答えはない。はじめから当たり前のように隣人として多様性が存在するわけじゃない社会で、すでに同調圧力による淘汰を生き残ってきた私たちが、どうやって本来の人間の多様さを受け入れればいいのか。私にはわかりません。

 

 Φ・空集合です。本当に自分のためのエントリです。

 

 

 

 インターネットに踏み出す前から、また特定のグループにここまで強く感情を傾ける前から考えると、なんだかんだもう15年くらいジャニーズを見てきた。物心つく前から喜んで見ていたらしいので、もう本能的にジャニーズの音楽が好きだったのだと思う。

 なにが言いたいかというと、インターネットを使えるようになるより先に、ジャニーズを見る習慣がついていた。だから、ジャニーズのファンというのは現実の世界で出会うだけで、インターネットでの繋がりを求めたこともなかった。そして、私が現実で出会うジャニーズのファンもまた、そういう人たちだった。

 今ほどSNSなどが発展しておらず、そもそもインターネットは私にとって、人と関わる場所ではなく、ただ情報を得たり、1人遊びのための道具だった。

 

 そうした経緯から、私は性質としてはジャニオタなのに、ジャニオタという存在や、その世界をまったく知らないでファンをやっていた。

 たぶん、今でもそういう人はたくさんいると思う。インターネットを使わない人などいなくなった現代でも、「ジャニーズのファンと関わろう」と思わなければ、意外とこの「ジャニオタの世界」には辿り着かない。

 ・・・あと、ここで言う「ジャニオタ」は、同胞以外のネット民からの評判はとにかくよくない。ネットは男性社会だった時代が長いので、仕方ない部分もあると思う。そのイメージが先行しているから、近寄らない人も多い。

 そこに世界があることを知りながら、敢えて避けている、というファンも実際何人も知っている。

 

 でもこの、ネット上に存在する「ジャニオタの世界」を一回知っちゃうと、これがファン全体であるような錯覚に陥ることがある。いや、そんなのバカでしょと思われるかもしれないけれど、そうじゃないと知っているはずの私は、陥った。

 ファンって、オタク以外に誰がいるの??ファンになったらみんなオタクになって、ここに辿り着くんじゃないの??

 答えはノー。実は、ジャニオタの世界で思われてるよりも、ジャニオタってファンの中で少数派。現実ではそれがありありとわかるのに、ネットに来ると途端にわからなくなる。

 そもそも人間って、なにかを好きになっても絶対オタクにならない人種っていうのが居て。私みたいにオタクになるタイプの人種は、友達もみんな類友でオタクになる性質を持ってることが多いんですけど、だから世の中ってみんなオタクでは?とこれも錯覚するんですけど、実際はそうじゃない。

 たぶんテレビとか作ってる人って、オタクじゃないんですよね。エンタメのファンだけどオタクじゃない。だからオタクの気持ちって絶対わからないんだろうなあ。

 

 そう考えると、最近は一億総オタク化っていうか、オタクが本当に市民権を得てきたな、と思う。一番極端な主張をフォーカスするインターネットの特徴のせいかもしれない。

 というか、オタクってなんだろうな。好き気持ちが重くて、そのぶん嫌もとても重くて、繊細で過敏な人たち。鈍感な人って能力が高いんですよね。不条理だけど、痛みを感じにくいほうが生きやすいに決まってる。

 でも、オタクみんなが同じ部分に過敏なわけじゃない。舞祭組の「ぶさいく」という読み方がどうしても気になり続ける人もいれば、私みたいにとっくに慣れた人もいる。そんな私は、自分が好きな人のことを批判されたり、マイナスの感情で非難されることには極度に弱い。

 

 そんな、過敏と過敏がぶつかることが多様性だとしたら、私は「たくさんの人と出会う」ことの恐ろしさに慄いてしまう。

 

 つまりこれが、私がTwitterを見なくなった理由です。

 それでもアカウントを消さないのは、単純に情報ツールとして便利だからもあるんだけど、やっぱり未練があるからだろうな。諦めきることは出来ていません。中途半端さがある。だからブログを更新する。

 結局自分自身が弱いから、強いひとを見て補完したい気持ちがある。それが私にとっての横尾さんなんだろうな、と。最近ひしひしと感じています。

 

 

 ジャニオタの世界を知ってから、自分の「好き方」が、多くのジャニオタの人たちとどうやら違うような感覚があった。

 私は横尾さんの物理的な部分が本当に好きで、容姿がとにかくなによりも好きで、動き方とか笑い方が好きで、話す言葉が好きなんです。つまり、「事実として何があったか」「どうであるか」が一番好き。

 ジャニオタの中には、「どうあるべきか」「どういう気持ちか」をとても大事にしていて、言動やパフォーマンス、セットリストの中に感情的意味合いを持たせることを好む人が多いんだなと、近頃ようやく気がついた。

 

 私がレポを読むのは、「どうだったか」を知りたいから。それは、誰の目にも変わらないこと。どんな言葉が発され、誰が誰に触れ、何を歌い踊り、なにがそこで行われたのか。

 意味や感情は自分で推測するので、本当は、事実だけを聞きたいんです。

 Twitterの上には、意味や感情の推測をした上で、それに対する批評まで付け加えたレポが本当に多いですよね。他の人の推測を聞くこと自体は、面白いと思う。でも、あくまで推測でしかないその意味を、肯定して喜ぶならまだしも、非難したり悲しんだりすることは、私には理解できなかった。

 事実ではないのだから、そこにはなにもない。その人が悲しんだり怒ったりしているようなことは、なにもないのです。そして、「ない」ことを否定することの難しさは、感情的に波立っている人には恐らくわからない。まして他人である私が、説得するわけにもいかない。

 

 私も私で、そんな言葉を見てもなんとも思わなければいいんだけど、自担やキスマイについて、感情的に批判されることが本当に耐えられないんですよね。これは私の過敏なので、こちらが意識して避けるしかない。

 今では自分に合うまとめサイトを見つけたので、主にレポはそこで見て、必要な情報だけを検索で引っ張ることにしましたが、タイムラインでレポを見ていた時には、本当に日々小さなストレスを蓄積させていました。

 趣味でファンをやっているのに、ストレスを溜めるなんて本当に馬鹿げている。

 ひとつひとつのストレスが小さいのと、コンテンツそのものへのストレスではないことで、自覚するまでに時間がかかってしまって。そんな馬鹿げた状況に甘んじて、うっかり2年間も経ってしまいました。

 

 これ、全部Twitterやめて半年ぐらい経ってからようやくわかったことなんです。

 ネットで病んでる人、ほんと、思い切ってやめることも大切です…。なんで病むのかって、考え方が歪んで、実際には存在しないような世界を見てしまっているから。そして、治るまでに結構時間かかる。

 自分の考え方が知らず知らずの間に歪められていたことに気付いたのは、半年間Twitterを一切見ずにいたから。途中で少しでもタイムラインを追ったら、気付けなかったかもしれない。

 

 普通に考えて、アンチがどれだけ騒いでいようと、実際担降りする人って少なからずそういうタイミングだったんですよ。そこに切っ掛けが与えられただけで、それが無かったら防げたかって言ったらそんなことはない。遅かれ早かれ、降り時だっただけ。

 私は横尾さんの長髪が本当に大好きで。しかも、今年のキスマイのシングルはその髪型がどれもバッチリ似合うようなコンセプトで、今年長髪にしてた横尾さんって本当に天才だと思うんです。で、仮にそう思わない人がたくさん(数千人)いたとしても、横尾さんってたぶんそんなことで髪型変えないしね。例え叩かれてても、私は何も損はしない。

 横尾さんが肌荒れしたり、ひどくむくんだりするのって、ここ数年決まって春と秋なんです。そして毎回必ず長引くことなくすっきりと元に戻る。私はアレルギーがまったく無いので詳しくありませんが、時期を考えれば花粉症の影響ではないかな。毎年毎年そこで騒ぐ人がいるので、横尾さんって毎年新規が増えてるんですね。(※嫌味です)

 ついでに言うと、横尾さんって「自信がない人」ではないんじゃないのかな~~~って私には思えてならない。もうこれは3年前から思ってることだけど、本当に自信がない人ってあんな堂々としてないし、「自信がない」なんてハッキリ言えないんじゃないかな。

 

 自分がどうせ買うCDの売上って、神経質に気にしても、どうせ買うんだから何も変わらないと思うんです。精神衛生上悪いだけ。

 2015年の時点では、キスマイのファンって「売上よりファンの声聞いてよ!」みたいな人が多くて。売上大事だよ?って本当に思ってました。それが180度逆になったことにも、戸惑っています。最近は、もう言う意味が無くなってきていると思う。

 シャララの時、あんなに加熱したのは、相手が同じアイドルで、しかも接触商法で売るやり方だったからではないですか。枚数がどうこうではなくて、負けるのが嫌だったからです。一回限りの状況に対する反応だった。それが何だか、枚数に執拗にこだわることへと変化してしまった気がする。

 売上を神経質に気にして、楽観視するのはおかしい!と主張する人ほど、推測が奇妙なのも気になります…。「これが売れたらまた格差に戻るよ!」って、マーケティングや売り込み戦略のプロって、そんな単純? 様々な要素を総合して考えたり、舞祭組との兼ね合い、キスマイとしての中期・長期的な戦略があると思う。もう新人じゃないし。

 まあ、仮にそうでなかったとして、私に出来ることはなにもないので、議論しても仕方ないんですけどね。格差になったらそれはそれで、濃色の衣装が横尾さんには似合います。

 あと、数千枚の変動って誤差レベルではないかな?過敏すぎる気がする。

 どちらにせよ、音楽業界全体がこれだけ冷え込んでる中、ジャニーズって接触商法も大してやらずに頑張ってる方です。配信しろって言う人もいるけど、それはオリコンの権威が失墜しないと難しいと思います。ジャニーズへの入り口がネットになる未来があるかないかなんて、想像しても意味なんてないし。

 

 なにより、売上枚数が低いから解散する会社ではないということを思い出したらいいんじゃないかな。2016年からこっち、みんな不安すぎる。

 逆に言えば、売れてれば安心なんてそんなことはないし。そこまで依存しちゃいけないんですよね、結局。民主主義で資本主義の社会では、なにかに依存していいようにはなってないんです。

 

 

 目の前のことを楽しむだけ。今を楽しむだけ。そこにあるものを楽しむだけ。

 ないものはないんです。あるものだけがあるのだから、ないものを求めても仕方ないし、ないことに嘆くのは馬鹿らしい。

 もうそのことを忘れたくないので、書きました。